2021/10/03

「壬申戸籍」に関する一考察 1.壬申戸籍の目的

「壬申戸籍」に関する一考察 1.壬申戸籍の目的


『部落学序説』第4章5節の表題を「戸籍と国家神道」としました。なぜ、「戸籍」と「神道」を一緒に考察するのか・・・。それは、今まで、部落研究・部落問題研究・部落史研究において、「戸籍」と「神道」の関係は、あまり論じられてこなかったためです。

最近読んだ本に、山室信一著『日露戦争の世紀-連鎖視点から見る日本と世界』(岩波新書)があります。その中で、山室は、現代日本の歴史学にも存在する「制約」についてこのように語っています。

「通常の歴史叙述では、ある分野や時代を限定されることを要請されますから、時代や空間を超えた繋がりについては触れにくいという制約があります」。

無学歴・無資格の筆者は、日本の歴史学に内在する、「学」としての「自己規制」に大いに戸惑ってしまいます。戦後の日本では、「学問の自由」は保証されていたのではないでしょうか・・・。それなのに、歴史学上の発想や着想、学問的な枠組みの革新について、それを許さない世界があるということに、あらためて、驚きの思いを持たざるを得ないのです。

山室は、そのようは歴史学上の「制約」を打破すべく、『日露戦争の世紀』を書くときに、「連鎖視点」を導入します。山室は、「連鎖視点」を、「あらゆる事象を、歴史的総体との繋がりでとらえ、逆にそれによって部分的で瑣末と思われる事象が構造的全体をどのように構成し規定していったのか、を考えるための方法的な視座」と定義します。

『部落学序説』の筆者が、部落学研究法として採用している学際的研究に類似したところがあります。あえて違いをいえば、山室は、「歴史学」という枠組みの中でのみ、「視座」の多様化を目指しているといえましょう。従来の学問的常識を超えて、「時代を超える」・「空間を超える」いとなみを通して歴史的事件に光をあて、その本質に迫ろうとします。

そのために、山室は、「史実と史実の間」の「繋がり」(連鎖)に歴史学的な独自の意味を見いだそうとします(連鎖視点)。

日露戦争は、『部落学序説』からみると、近代部落差別の構築の大きな要因のひとつです。山室の論文は、筆者のこれからの執筆にいろいろ影響をあたえそうですが、いままで、歴史学上とりあげられてこなかった「史実と史実の間」の「繋がり」の諸相は、読解するのに相当時間と努力が必要なようです。いろいろな史料・資料からの引用は、追跡・確認するだけでも相当時間・労力を要しそうです。

山室は、その「あとがき」で、「あらたな観点を出すという目標に、はるかに及ばなかった欠落感と悔い」が残った・・・といいます。歴史学者としての謙遜から出てくる言葉として斟酌しても、歴史学上の「あらたな観点」を打ち出すために、「史実と史実の間」の「繋がり」を解明しきるというのは至難のわざなのかも知れません。

東京外国語大学助教授の方に、『部落学序説』の概要をみてもらったとき、「このような論文は君だから書ける・・・」とおっしゃっておられました。「君だから」というのは、無学歴・無資格でしろうとの「君」だから・・・という意味です。山室がいう、「ある分野や時代を限定される」のを常とする歴史学研究の今日の状況下では、筆者の『部落学序説』は、評価対象外の論文になります。筆者は、歴史学の限界を考慮して、歴史学のひずみを乗り越えるあらたな方法として「非常民の学として部落学」の構築を目指しているのですが・・・・。

明治政府が構築していった「戸籍」について、筆者が出会った論文の中で、最も参考になったのが、藤林晋一郎著『身元調査』(解放出版社)です。その第3章を読めば、「壬申戸籍」について、押さえなければならないことはほぼ押さえることができます。出版年は1985年なので、20年前の論文ということになります。この20年の間に、「壬申戸籍」について、どのような研究が展開されていったのか、筆者は、十分、情報を持ち合わせていません。

例によって、徳山市立図書館の郷土史料室の蔵書と近隣の宮脇書店で入手した若干の書籍をもとに「壬申戸籍」について言及することになります。

藤林晋一郎著『身元調査』(解放出版社)を通読していて、この書も、山室がいう日本歴史学の制約、「ある分野や時代を限定」された、未完成の中途半端な研究である・・・と感じさせられます。

パズル絵に例えると、ほぼ完成に近づいているのに、重要な部分で、いくつかのパーツが欠落している状況に例えることができます。

『部落学序説』を企画・設計・構築している全過程で思っていたことですが、どの部落研究・部落問題研究・部落史研究においても、完成予想図と比較するとき、完成された部分といまだ完成されていない部分があるということです。藤林は、「壬申戸籍」の本質に迫りながら、「戸籍」と「宗教」の関連性についてはほとんど言及していないのです。「壬申戸籍」の本質を解明するには、「戸籍」と「宗教」、「戸籍」と「寺社」の関係を明らかにする作業を省略することはできません。省略するか、研究しても言及しないでおくと、パズル絵に大きな欠損が生じ、結局論文そのものを完成させることができずに未完に終わってしまいます。

部落研究・部落問題研究・部落史研究の論文を読むときは、その論文の筆者が語っているところよりも、語っていないところに注目する必要があります。部落研究・部落問題研究・部落史研究における学者・研究者・教育者の自己規制は、彼等が語ったところより、語らなかったところに如実に現れるからです。

藤林は、「壬申戸籍」の前身である「京都府戸籍仕法書」に関する記述の中で、「実際の目的は、「流浪胡乱の者の探索と、困窮の救恤と、家族関係の確立」という石井良助説を紹介しています。藤林は、「京都府戸籍仕法書」のあとを受けて登場してくる「壬申戸籍」の目的も同様に認識していたのでしょう。①流浪胡乱の者の探索、②困窮の救恤と、③家族関係の確立を強調するあまり、その他の要因が研究の枠外に追いやられてしまっているように思われます。

藤林は、明治4年の太政官布告第488号と第489号について、「壬申戸籍」の研究成果を踏まえて、「穢多非人解放令」は戸籍行政における「合理化」を推進するうえで大きな役割を果たしていた・・・単に戸籍事務上の便宜をはかったにすぎないとみることもできよう。そのほうが「人民の把握」に都合がよく、民衆の監視機構としての戸籍の役割がより鮮明になってくる」といいます。

しかし、「壬申戸籍」が作られた目的については、いろいろな説があります。たとえば、①治安対策、②租税賦課の徹底、③近世のキリスト教禁圧政策の継承。筆者の『部落学序説』は、「壬申戸籍」施行の目的は、①流浪胡乱の者の探索、②困窮の救恤と、③家族関係の確立にではなく、①治安対策、②租税賦課の徹底、③近世のキリスト教禁圧政策の継承にあったと認識しています。

『地方史研究法』(東京大学出版会)の著者・古島敏雄は、「江戸時代の村方史料は明治3年までであり、戸籍関係史料としての宗門人別帳も同年までであるが、それと近代的戸籍との結びつきをしめすものとして、明治5年の壬申戸籍は、身分関係の基礎史料をなし・・・・・・」といいます。

古島によると、「壬申戸籍」は、近世から近代への過渡期に作られた戸籍であるということになります。「壬申戸籍」は、明治5年に作成されたものですが、「壬申戸籍」は、近世と近代の両時代の政治意図が反映されていると想定されます。それを最も反映するのが、①治安対策、②租税賦課の徹底、③近世のキリスト教禁圧政策の継承の中の、「③近世のキリスト教禁圧政策の継承」ではないかと思います。

藤林晋一郎著『身元調査』の「壬申戸籍」に関する論述は、「③近世のキリスト教禁圧政策の継承」に関する論述をはずすことによって、残念ながら、重要なパーツの欠けたパズル絵のような未完成の論文になっているのです。藤林が、語っているところより、語っていないところに、「壬申戸籍」の本質を把握する上で重要な鍵が存在しているように思われます。

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