2021/10/02

「賤民史観」と遊女4 「遊女」と「部落民」の間にある深くて暗い溝・・・

「賤民史観」と遊女4 「遊女」と「部落民」の間にある深くて暗い溝・・・

明治4年の「穢多非人等ノ称廃止」に関する太政官布告と、明治5年の「芸娼妓解放令」・「遊女解放令」とはまったく異質の法令です。

前者が単なる、近世幕藩体制下の旧制度廃止の法令でしかないのに比べて、後者は、現代においても世界的に通用する人権宣言であり、ジェンダー論が先鋭化される今日においても、女性解放の先駆として評価してあまりあるものです。

明治30年代後半以降、歴史学研究における「賤民」概念の導入が一般化され、「皇国史観」・「唯物史観」、どの立場からも「賤民史観」が採用されるに及んで、「部落民」と「遊女」の両概念は「賤民」概念の下位概念として位置づけられます。その結果、「部落民」概念の属性が「遊女」概念の属性と混同され、「遊女」概念の属性が「部落民」概念の属性として混同されます。

それだけでなく、明治4年の「穢多非人等ノ称廃止」と、明治5年の「芸娼妓解放令」・「遊女解放令」とが混同・融合され、「穢多解放令」・「賤民解放令」・「部落解放令」・・・等という新たな概念が導入されるようになります。

しかし、「遊女」と「部落民」の間にある深くて暗い溝・・・を見失うことなく、冷静に、客観的に見続けたひとびとに、女性史・女性解放史・ジェンダー史の学者・研究者・教育者・婦人運動家(女性運動家)がいます。

従来の部落史研究が、ジェンダー的に「男性」に偏って研究されてきたためでしょうか、部落解放研究所編『部落解放史』(全3巻)には、明治5年の「芸娼妓解放令」・「遊女解放令」は、ほとんど言及されることはありません。

『被差別部落の歴史』の著者・原田伴彦のような歴史学者・部落史研究者ですら、明治5年の「芸娼妓解放令」・「遊女解放令」を正当に評価することはできません。「賤民史観」だけでなく、「男性」に偏向した歴史観に無意識に拘束されているためでしょう。

原田は、明治4年に「解放令」が出された「直接の動機」としていくつか指摘していますが、最初にあげる「動機」は、「外国に対する体面」です。「大江卓は、開港場である神戸などに部落のような非人間的な制度があるのは、いかにも恥ずかしいことであると思った・・・」と記しています。「部落」の存在を許すのは「国辱」にあまんじるに等しいという考えがあったというのです。

原田は、続けてこのように語ります。

「解放令の翌年の明治5年に、政府は人身売買禁止令をだして、娼妓・芸妓その他の人身売買に類する年期奉公人の雇入れをいっさい禁止する布告をだしています。この布告も社会的に弱者であった婦人たちや、苦界にあった婦人たちの解放をめざしたものではなくて、外国への面子のからんでいたのです」。

原田は、明治5年の「芸娼妓解放令」・「遊女解放令」を、完全に否定しているといえます。明治5年の布告・布達は、「社会的弱者」であった「遊女」に対する「解放」をめざしたものではない・・・と断定しているのです(ほんとうの人権宣言を見失うものは、人権宣言ならざるものを人権宣言とみなしてしまいます)。

このことは、原田の部落史研究には、「女性解放」や「ジェンダー」の視点・視角・視座が一考だにされていないということの左証です。部落史研究のおける、「女性解放」・「ジェンダー」の視点・視角・視座の過小評価・排除・排斥は、戦前だけでなく、戦後の部落史研究をきわめていびつなものにし、部落史研究全体を問題の核心からそらす結果をもたらすことになったのではないかと思います。

『部落学序説』の筆者の目からみると、戦後の部落解放運動に参加した「被差別部落」の女性からも、捨ててかえりみられなかった「女性解放」・「ジェンダー」の視点・視角・視座から、あらためて部落史研究の全体が検証・批判されるとき、部落史研究と部落解放運動にあらたな一石を投じることになるのではないかと思われます。「女性解放」・「ジェンダー」の視点・視角・視座からの、部落研究・部落問題研究・部落史研究も、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」払拭の大きな原動力になりうるからです。

いままで、「被差別部落」出身の女性から、部落研究・部落問題研究・部落史研究の「ジェンダー」・「ジェンダー史」的見直しがなされてこなかったのはなぜでしょうか。

筆者の推測では、あまりにも、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」にからめとられ、「部落解放令」や「水平社宣言」、その系譜をひく「同和対策審議会答申」を絶対視し、それに屈従してきたためではないでしょうか・・・。

上野千鶴子(東京大学)や栗原るみ(福島大学)などの「ジェンダー」に関する学者・研究者・教育者によって、その成果が明らかになっていく今、「被差別部落」の女性の側から、「部落解放令」・「水平社宣言」のみなおし、戦前戦後の「部落解放運動」の批判・検証が遂行されなければならないのではないでしょうか。

もちろん、「ジェンダー」・「ジェンダー史」は「発展途上」にあるようですから、「ジェンダー」・「ジェンダー史」を論じているからといって、かならずしも問題の核心に触れていない場合も多々あります。たとえば、黒川みどり著『地域史のなかの部落問題 近代三重の場合』もそのひとつで、黒川みどり(静岡大学)の指向からしても、「ジェンダー」的視点・視角・視座が著しく欠落している場合も少なくありません。黒川が自らを「脱女性化」しているためでしょう・・・。「ジェンダー中立性」が「隠れた男性中心性」(上野千鶴子・前掲書)の発露になっていると考えられます。

今回の文章の表題、「「遊女」と「部落民」の間にある深くて暗い溝・・・」を抉りだしたのは、「女性解放」・「ジェンダー」の視点・視角・視座に立つ学者・研究者・教育者ではないでしょうか。

上野千鶴子(東京大学)や栗原るみ(福島大学)について、「マルクス主義者」というラベリングがなされ、批判の根拠にされているむきもあるようですが、歴史的「混淆」の日本の社会にあって、「皇国史観」・「唯物史観」からまったく自由な立場というのは存在しません。『部落学序説』の筆者は、「皇国史観」・「唯物史観」からも影響を受けていることは、繰り返し言及してきましたが、あからさまに言及している分、「皇国史観」・「唯物史観」からある程度自由になって、『部落学序説』を執筆しているつもりです。筆者の関心は、上野千鶴子(東京大学)や栗原るみ(福島大学)が、「マルクス主義者」であるかどうかにいっさい関係なく、彼女たちがどれだけ、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を払拭し、科学的(学問的)、実証主義的にその研究を徹底しているかにあります。学歴も資格ももっていないものに何がわかるか・・・、と反感を買うかもしれませんが、上野千鶴子(東京大学)や栗原るみ(福島大学)はそのような低俗な人物ではないでしょう。(続く

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