2021/10/01

西光万吉と平野小剣の霊を呼び起こすひとたち

西光万吉と平野小剣の霊を呼び起こすひとたち・・・

『部落学序説』の執筆の初期の段階で、読者の方々の要望で、『部落学序説』の執筆に際して使用する史料・文献の一覧表を公開しました。

そのことがよかったのか、悪かったのか・・・、筆者は、いまだに結論を出すことができません。

「馬鹿ほど、すぐ手の内を見せたがる・・・」、そういう内容の御指摘をいただいたこともありますが、筆者が、この章・節で使用する文献は、その一覧表を見れば、大体、推測することができます。雑誌・論文集の場合、収録されています個々の論文の著者・論文名は列記していませんが、部落研究・部落問題研究・部落史研究に少しでもかかわってこられた方々にとっては、筆者が、十分、手の内を見せていることになるのでしょう。

戦前の水平社運動、戦後の部落解放運動・・・。

その運動は、「被差別部落」の人々だけでなく、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者、そして、政治家・運動家をも、場合によっては、一般民衆をも巻き込んで、展開されてきました。そして、戦前・戦後を通じて、その運動は、多くの足跡と実績を残してきたことは否定すべくもありません。

しかし、33年間・15兆円の同和対策事業費・同和教育事業費が投じられたにもかかわらず、その事業は、十分には、初期の目的を達成することができませんでした。

事業終了と共に、明確になっているはずであった問い、「部落とはなにか」、「部落民とは誰か」という問いに対して、ほとんど満足のいく解答を入手することができないでいることが明らかになってきました。

「部落とはなにか」、「部落民とは誰か」・・・、その問いに対して、「被差別部落」のひとびとも、また、その一部の部落解放運動に従事したひとびとも、「被差別の立場」ではないけれども「被差別の側」に立つという、分かったようで分からない・・・、そんな、「被差別部落」の周辺を生きるひとびとも、十分な解答を手にすることができませんでした。いまだに、「部落とはなにか」、「部落民とは誰か」・・・、その問いを前にして試行錯誤の状態にあります。

しかし、答えることができない問いは、そのふたつだけではありません。

「水平社宣言とはなにか」・・・、その問いに対しても、十分な解答を得ることができないでいるのです。「水平社宣言」は、戦前の水平運動、戦後の部落解放運動にとっても、その運動を担う人々にとっては、極めて重要な精神的拠りどころでした。しかし、今、「水平社宣言」は、既存の一般的・通俗的見解に固守するひとびとと、「水平社宣言」を見直そうとするひとびととの間で、少なからず、せめぎあいが続いているのです。

さらにいえば、「部落解放運動とはなにか」・・・、その問いにすら、十分な解答をすることができなくなっているのです。「似非同和行為」を含む、同和対策事業の様々な問題点、行政や運動団体の破綻や崩壊・・・、戦前・戦後を通じて展開されてきた水平運動・部落解放運動は、深刻な運動の行き詰まりを経験しつつある・・・、といってもよいでしょう。

部落解放運動の「理論」と「実践」がひとつであった時代をなつかしみ、それにしがみつくことで、現代の部落解放運動の苦境・試練に耐えようとする人々もいれば、部落解放運動の「理論」と「実践」の歪みに失望・落胆して部落解放運動に参加し続けることを放棄・離脱していく人々もすくなくありません。しかし、多くの人々は、同和対策事業・同和教育事業による「利権」のあまい汁を吸うことができなくなって、同和対策・同和教育かた撤退していきました。部落解放運動に「動員」された、「被差別部落」内外のあわれな現実の姿です。

部落解放運動の「理論」と「実践」の間の亀裂を修復し、あらたな「理論」と「実践」の関係を構築すべく、1980年代後半から、「部落とはなにか」・「部落民とはだれか」・「水平社宣言とはなにか」・「部落解放運動とはなにか」・・・、という、基本的な問いがあらためて問われるようになりました。しかし、その新たな取り組みの中で、基本的な問いに対して、根本的な解答を入手し得た・・・、のではなく、その問いの前に、差別的・反差別的な説が群雄割拠を絵に画いたように、様々な恣意的な説が展開され、基本的な問いに対する答えを入手することが極めて困難な状態に陥ってしまたのです。

筆者の『部落学序説』は、これらの基本的な問いに対して、より根本的な答を得るべく、無学歴・無資格、百姓の末裔・常民の末裔である、「部落解放運動」からみると「差別者」と断定される立場から執筆されたものです。

『部落学序説』の執筆に際して使用する史料・文献の一覧表・・・、そこに記載された限りの、貧しい史料・文献しか持ち合わせていない筆者は、部落研究・部落問題研究・部落史研究の既存の成果を取捨選択・批判検証してこの『部落学序説』を執筆してきましたが、筆者の姿勢は、基本的には、部落解放運動の基本的テーゼを題目を唱えるように復唱することではなく、テキスト批判に基づき実証的に批判検証を徹底するというものでした。

その姿勢は、「部落とはなにか」、あるいは、「部落民とはだれか」という問いに答えを求めて試行錯誤するときだけでなく、「水平社宣言とはなにか」、「水平社運動とはなにか」という問いに対する答えを入手する場合にも該当します。

筆者には、「部落解放運動」に利するような研究を提示する・・・、といった姿勢に欠けます。「部落解放運動」がどのように展開されていっても、筆者は、目の前にある有限の資料を駆使してテキスト批判を遂行するのみです。

「水平社宣言」を解明するために、戦後の部落解放運動から見捨てられて顧みなかった、あるいは、歴史的実像を剥奪され、現代の部落解放運動が押しつけた一般説・通説の装いでしか登場してこなかった、西光万吉と平野小剣を、ある種の宗教家がそうしているように、彼らの霊を呼び起こして、彼らに、現代の部落解放運動の再生のために都合のいい説をまたぞろ語らせる・・・ということは、『部落学序説』の筆者にはもはやあり得ないことです。

<水平社宣言共同執筆説>に立って、平野小剣を、忘れ去られた歴史の彼方から現代に呼び戻そうとするひとびとは、平野小剣の書き記された言葉の解釈を通して、平野小剣の霊をして語らしめるのではなく、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者自身の霊を語らしめているのです。

《歴史的記憶としての「水平社宣言」》の著者・朝治武、『忘れさられた西光万吉』の著者・吉田智弥、《悲しくも愛しき故郷-水平社活動家・平野小剣の原風景を福島に追う-》の著者・朝治武、《第9章水平線上の赤と黒 アナ・ボル対立と平野小剣・高橋貞樹》(『近代の奈落』)の著者・宮崎学・・・、彼らは、西光万吉と平野小剣を、今日的状況の中によみがえらせ、かれらを傀儡のようにして、西光万吉と平野小剣に彼らの霊のことばを語らせているのです。

朝治武氏は、《悲しくも愛しき故郷-水平社活動家・平野小剣の原風景を福島に追う-》の中で、このように記しています。

「平野の足跡から見える新たな水平運動史像を描くため、さらには自らの生育や現在の意識と重ね合わせつつ平野を通して部落民の意識や生き方の一つに迫る・・・」。

無学歴・無資格、百姓の末裔・常民の末裔である、「部落解放運動」からみると「差別者」と断定される立場にしか立つことができない筆者にとっては、朝治武・吉田智弥・宮崎学・・・各氏のように、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」として、その精神に歴史の真実が刻印されている平野小剣の故郷、福島の信夫の阿武隈川畔での生い立ち、そして、小剣の父や、村の古老から聞かされた彼らの歴史を、筆者のそれと「重ね合わせる」ことはできないのです。

『部落学序説』執筆のきっかけとなった、山口県北の寒村にある、ある「被差別部落」の古老の聞き取り調査のとき耳にした彼らの語る「物語」(歴史と伝承)は、筆者が、決して、「重ね合わせる」ことができないものです。

山口県北の寒村にある、ある「被差別部落」の古老は、その村にあった牢屋の牢番の末裔・・・。そして、平野小剣もまた、阿武隈川畔の「被差別部落」にも牢屋があり、その村の住人は牢番を担当していたことを記しています。

彼らは、山口県と福島県との、離れた地域に身を置きながら、同じことを証言しているのです。「私たちの先祖は、武士でした・・・」。

近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての職務を遂行していた彼らの出で立ちは、「武士」階級のそれと同じでした。彼らは職務上、帯刀していたのです。

平野小剣は、『思ひでのまゝ』の中でこのように綴っています。

「俺の父は武士だ。武士の血を享けて生まれた俺は武士の子に違いないのだ。その武士の子を捕まえて、この恐ろしい怖い虐めかたは一体どうしたわけなんだ?」

『部落学序説』の筆者である私は、平野小剣は、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老と同じように、こどものころだけでなく、おとなになり、水平社運動に参加するようになったときも、その意識を持つ続けていた・・・と、思わされるのです。つまり、平野小剣も、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多」(武士支配の側の役人)であるという父祖の歴史・伝承と、「特殊部落民」として差別されることの間に大きなギャップを感じていたのです。

平野小剣は、朝治武氏のいう「部落民意識」(被差別民としての意識)だけでなく、それよりもっと強烈に「穢多意識」(武士身分としての意識)を持っていたと思われます。

朝治武氏も吉田智弥氏も、そして宮崎学氏も、「自らの生育や現在の意識と重ね合わせつつ平野を通して部落民の意識や生き方の一つに迫る・・・」姿勢の中で、平野小剣の「穢多意識」を無視するか、過少評価して、捨てて顧みないのです。そして、「重ね合わせる」ことができる「部落民意識」のみを強調・力説します。

平野小剣にとって、「誇り高き・・・」なのは、「特殊部落民」として差別されているおのれではなく、牢番頭(長吏頭)の末裔としての「穢多」としてのおおれなのです。

吉田智弥氏は、「「部落民」であることに「誇り」をもってきた・・・」といいます。朝治武氏は、平野小剣の主張は、「誇り高き部落民であるという、いわば部落民意識ともいうべきものを前提にしてこそ成立する・・・」といいます。宮崎学氏は、「宣言の誇りある部落民意識・・・平野の手によるものなのは、まちがいない」といいます。彼らは、平野小剣の「部落民意識」を全面に押し出すことによって、平野小剣の「穢多意識」を意識の外に追いやり、視野から遠ざけてしまうのです。

平野小剣は、『水平運動に走るまで』(沖浦和光編『水平人の世に光あれ』)の中でこのように語ります。

「俺の心の底で叫ぶ声、微かな声は、労働自治の新社会、新社会主義、共産主義、そんな社会の出現を望むものではなかった」。

『部落学序説』の筆者である私は、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の語ることばと、平野小剣の語る「心の底で叫ぶ声、微かな声」を「重ね合わせる」ことで、『部落学序説』執筆のきっかけをより強固にしていったのです。

「水平社宣言」創作時の平野小剣の関与・・・、『部落学序説』の筆者は、「我々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。我々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。」ということばの中に見出すことができると考えます。

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