2021/10/03

「壬申戸籍」に関する一考察 3.壬申戸籍による「穢多非人」の識別

「壬申戸籍」に関する一考察 3.壬申戸籍による「穢多非人」の識別


「壬申戸籍」の「族称欄」の統計から、身分別人口比率をみますと以下のようになります。

皇族   0.0000009%
華族   0.0081%
士族      5.91%
平民   93.00%

この「平民」の中には、「穢多非人等」がふくまれていますが、「明治初年調 府藩県人員表」(山川出版社『人権の歴史 同和教育指導の手引き』)を参考に、「元穢多非人」の人口比率を、1.73%であると仮定します。

圧倒的多数は、「平民」身分です。「壬申戸籍」の論述を分かりやすくするため、「平民」から「旧穢多非人」を独立させると、身分別人口比率は以下のようになります。

(非常民)
皇族   0.0000009%
華族   0.0081%
士族      5.91%
元穢多    1.73%

(常民)
平民   91.27%

圧倒的大多数は「平民」ということになります。「壬申戸籍」100軒分を閲覧すると、91~92軒は、「平民」ということになります。「皇族」・「華族」記載の「壬申戸籍」は、ほとんど皆無に等しく、「士族」は100軒中6軒、「元穢多非人」は、100軒中1~2軒ということになります。

「壬申戸籍」は、当時の行政の戸籍係・担当者によって、「司法・警察関連の施策」、「刑法上の特例」がある場合の検索を容易にするために、「平民」と「平民以外」を識別するための「指標」を設定する場合がありました。

一般的な方法は、「族称欄」の身分を「朱筆」することです。『部落学序説』のこれまでの論述を踏まえると、近世幕藩体制下の「非常民」に属する人は「族称欄」の身分が朱筆される場合が多々見受けられるといいます。「士族」の場合、「士族」と朱筆されるのです。しかし、「常民」の場合は、朱筆されることはありません(「壬申戸籍」を全部みたわけではありませんが・・・)。

近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多非人」は、「非常民」ですので、「壬申戸籍」において、「士族」がそうであったように、「常民」である「平民」から区別するために「朱筆」された可能性があります。「朱筆」されない場合、「朱筆」で記号がつけられたり、「新平民」と記載されたり、「元穢多非人」だけ、戸籍の末尾に一括して編纂されたりしました。

明治政府は、司法・警察行政上、「壬申戸籍」の「非常民」に「朱筆」で印をつけ、急な識別・検索に供する必要があったのでしょう。

しかし、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」に依拠する学者・研究者・教育者は、この「壬申戸籍」の、「旧穢多非人」につけられた印を、「差別のためにつけられた・・・」と解釈します。被差別部落の側も、「社会的地位も名誉も信頼もある学者・研究者・教育者がいうならば、この印は被差別部落の人を差別するためにつけられたに違いない・・・」と信じるようになって、今日の「壬申戸籍」に対する偏った見方が成立していったのではないかと思います。

筆者は、「旧穢多非人」につけられた印は、部落研究・部落問題研究・部落史研究において、一般的にいわれる、「差別のためにだけ」つけられたものではないのではないか・・・、もっと別な意味が含まれているのではないかと思っています。「壬申戸籍」は、「士族」と「元穢多非人」を、近世幕藩体制下の「非常民」として、同様に取り扱っていたのではないか・・・、という疑念を抱いているのです。

「朱筆」で「点」がつけられる場合、「壬申戸籍」において、近世幕藩体制下の司法・警察であった「元穢多非人」が誰であったのか、不用意にあきらかにすることで、司法・警察行政に支障をきたす恐れがあると判断された場合、司法・警察業に関係のある人々(元同心・目明し・穢多・非人)に、必要に応じて、それとなく、印がつけられた可能性もあります。

この仮説を論証するためには、「壬申戸籍」を「本文批評」にさらす必要があります。「新平民」という文字だけでなく、文字の色、大きさ、記号の種類・・・等、詳細に検証する必要があります。

さらにいえば、『身元調査』の著者・藤林晋一郎は、「壬申戸籍」の「族称欄」にのみ注目しますが、「壬申戸籍」から、「旧穢多非人」を識別するのは、「族称欄」だけとは限りません。なぜなら、「壬申戸籍」は、近世幕藩体制下の「宗門改帳」の近代における継承でもあったからです。「宗門改帳」の記載事項に、それぞれの家が所属していた「寺と神社」の名前を書く欄があります。

「壬申戸籍」において、「旧穢多非人」身分の多くは、「平民」として登録されていたといわれます。「新平民」記載や記号による識別は、極めて例外的なことがらであるというのです。

それでは、「壬申戸籍」で「旧穢多非人」が「平民」として記載されている場合、「旧穢多非人」の身分が判別できないのかというと、そうではありません。「宗門改帳」の記載事項が転記された箇所を見れば分かります。「族称欄」ではなく、先祖が所属していた寺院名・神社名をみれば分かる仕組みになっています。

「壬申戸籍」の寺社の名前を記した欄をみると、近世幕藩体制下でどの寺に所属していたかが分かります。ご存知のように、近世幕藩体制下の「穢多」は、多くの場合、浄土真宗の「穢寺」・「穢多寺」に所属しています。つまり、「族称欄」で「平民」記載されている場合でも、所属している寺院の名称を見て、その「寺」が浄土真宗の「穢寺」の名簿に記載されていれば、その家は、近世幕藩体制下の「穢多非人」の末裔であるということになります。

被差別部落の人々にとって、「壬申戸籍」が「差別文書」と思われたのは、「族称欄」の「新平民」記載だけでなく、たとへ「平民」記載であっても、「穢寺」の門徒であるかいなかによって、「旧穢多」身分であることが分かったからです。近世幕藩体制下の「宗門改帳」の寺院名がそのまま記載されている場合はより深刻です。

被差別部落の人々にとって、「壬申戸籍」は、両刀の刃になります。他者によって、先祖の身分を暴かれる道具にもなれば、自己のルーツを確認するための有力な史料ともなります。「壬申戸籍」を差別戸籍として閲覧禁止に追いやった結果、「壬申戸籍」を根拠に結婚差別・就職差別を受けることがなくなった反面、被差別部落の人々も、自己のルーツを確認する術を失ったのです。

宗教者である筆者の職業柄、時々、「被差別部落出身かどうか」悩む人に接します。数年、数十年、そのことで悩む人もいます。「壬申戸籍」の「族称欄」と寺社籍簿の欄をみれば、たちどころに氷解するにも関わらず・・・。その最大の障碍になっているのが、日本の歴史学に内在する差別思想である「賎民史観」なのです。「賎民史観」に裏打ちされた、「寝た子を起こすな・・・」という、被差別部落の人々を、絶望とあきらめに閉じ込める差別的な論理なのです。

浄土真宗の寺の中でどの寺が「穢寺」なのか・・・。

公立図書館に行けば、比較的簡単にその一覧表を入手することができます。近世幕藩体制下の「穢寺」の名称と、明治天皇制下の名称が異なっている場合がありますが、各種寺院名鑑をみれば容易に確認することができます。近世の「庵」が近代の「寺」に格上げされている場合もありますが、その確認もそれほど難しいことではありません。「被差別部落出身かどうか」、「先祖が何をしていたのか」、ひとり、密かに、延々と悶え苦しみ悩むより、「壬申戸籍」を調べて確認する方がより合理的に問題を解決します。「穢寺」の住職の方も、あなたの問題解決のために協力してくださるでしょう。

インターネットで流されている被差別部落の「地名」・「姓名」は、あまり意味をもちません。それらの情報から、被差別部落の人々が自分のルーツにたどり着くことはほとんどできないでしょう。少なくとも、山口県に関する情報は、いいかげんで無責任な戯言でしかありません。

「壬申戸籍」と「寺院」の関連性は了承してくださったと思われますが、「壬申戸籍」と「神社」の関連性はどこに由来するのでしょうか・・・。次回、取り上げます。

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