2021/10/01

近世から近代へ

近世から近代へ


「近代化のシステムと歴史的・伝統的システムの狭間でうまれるさまざまな問題があるが、そのなかでも最大のものが差別である」。


阿部謹也著『学問と「世間」』の「第4章日本の学問の課題」の一節です。

bandai02この『部落学序説』の第1章~第3章において、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多」について論じてきました。「非常民」としての「穢多」の姿は、日本の歴史学の差別思想である「賤民史観」が描く「穢多」の姿とは、まったく異なる姿であることを、種々雑多な史料を用いて証明してきました。

近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」は、決して差別された存在ではありませんでした。むしろ、司法・警察の「本体」としての、様々な「役務」に従事していました。彼等は、社会から排除・疎外された存在ではなく、社会の内にあって、社会の法的・政治的安定を作り出す「役務」に従事していました。

「穢多」は、「権力」というより「法」に使える「役人」でした。彼等は、身分の貴賤にかかわらず、幕府や藩の定めた「法」に逸脱する人々を探索・捕亡・糾弾するのを主な職務としていました。時として、死刑にも関与しました。重罪を犯した人の死刑を執行する場合もありました。今日の死刑執行人と同じ仕事でした。司法・警察である「穢多」は、自らこころの傷を負いつつ、社会の法的安定のために死刑執行に携わりました。

中には、例外的に、「法」を守る「穢多」自らが「法」に違背するということが発生し、社会的に批判を受けたことは、今日の警察官の不祥事事件に比することができます。例外的な事例を捕らえて、近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」全体が、社会からひんしゅくを買ったり、疎外・排除されていたというのは多くの歴史資料に違います。

「穢多」は、「非常の民」として、職務に対する責任と誇りをもって、江戸時代三百年間に渡って、営々とその「役務」に携わってきたのです。

ところが、明治になると、「穢多」は、明治政府が直面した国家的「屈辱」、治外法権の撤廃のために、司法・警察の近代化を迫られ、過ぎ行く時代の司法・警察である「穢多」は解体されてしまいます。阿部のいう「歴史的・伝統的システム」を生き抜いていた「穢多」は、「近代化のシステム」の中で、切り捨てられ、排除されていくのです。

『部落学序説』第4章は、「歴史的・伝統的システム」の解体と「近代化システム」の構築の間で、いったい何が起こったのか、近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」が、「新平民」として差別されるようになった原因と経緯の解明を目指して執筆されます。

この『部落学序説』第4章においても、第1章~3章で論じた、部落学研究法は継承されます。部落学は、「常民」の学としての民俗学になぞらえて、「非常民」の学としての部落学として、歴史学、社会学・地理学、宗教学を主要科目として、また、民俗学・政治学・法学等を補助科目として、学際的研究としておこなわれます。
学際的研究が可能なのかどうか・・・。

阿部によると、「わが国の学問は大きな危機を迎えている」というのです。それは、人文社会科学の分野であっても、「学生は必ずしも自分がやりたいと思うテーマを選ぶことができない」そうです。「学生が自らテーマを設定しても教師がそれを認めないことも珍しくない」というのです。

古島敏雄著『地方史研究法』に、「昭和10年前後までに大学の史学科を卒業した人たちから、その人たちの学校では明治以降は卒業論文のテーマとすることを許されなかったという想い出がよく聞かれる。」とありましたが、戦後60年たった今も、同じようなことが行われているとしたら、驚きです。

阿部は、また、「学際的という言葉があるが、日常的にはほとんど機能していない」といいます。
阿部は、彼が出た一橋大学だけは、学生が自由にテーマを決めることができ、学際的研究をする環境もととのっているといいます。

もし、筆者が、若くして、『部落学序説』を本格的に研究しようと思ったら、一橋大学しかふさわしい大学はないということでしょうか・・・。昭和41年3月岡山県立児島高校を最下位で卒業した筆者には、まったく無縁のような感じがします。

しかし、『学問と「世間」』の著者・阿部謹也は、「生涯学習のあり方」についてこのように語ります。
「生涯学習というと、現在の形からすぐに大学における学問の余滴の公開と考える向きがある。私が考えているのは、現在の大学における学問をそのままにしておいて、その余滴としての公開講座ではない。そうではなくて、<生活世界>の中から学問を再構成していく手段の一つとしての生涯学習なのである。いわば専門家集団の組織としての大学を素人に開放し、生活者としての関心に立って問題が発見されていき、専門家と共にその解決に向かっての努力が続けられるという構図である。生活現場からの発想に立った学問の再構築なのである」。

阿部は、「そのような学問として、どのような形が考えられるのだろうか・・・」といくつか例をあげているが、「生涯学習の中での勉学は原則として現場主義となる」といいます。そして、「大学の教授たちが研究室で沈思黙考して、ある種の理論体系を考え出し、それを現実の出来事に当てはめていくというかっての学問のあり方は全く捨てられる。」といいます。

学歴も資格もなく、無学でただの人でしかない筆者にとっては、「夢なら覚めてほしくない」阿部謹也の教育理念です。

そう言えば、山口に赴任してしばらくして、山口大学で日本社会学会があったとき、同時に開催された日本解放社会学会の飲み会に参加したことがありました。テーブルの向こう側には、上野千鶴子も座っていました。そのとき、酒の席の冗談で、日本解放社会学会の「準会員」に推薦されたことがあります。そのとき確か、酒の力も手伝って、「学歴を持たないで学歴差別を研究している・・・」と豪語した記憶があります。

この文章を書きながら、つい、なつかしくなって、『解放社会学研究1』をひもといてみていたら、びっくり、そこには、学会員として野口道彦の名前がありました。

野口道彦は、『部落問題のパラダイム転換』の著者です。私は、『部落学序説』で、「最悪の差別者」・「彼の提案は、差別解消ではなく差別拡大につながる」と、名指しで総合的な批判を予定しています。筆者は、100%野口道彦の差別性を証明できると確信しています。

昨年の夏、周南市(徳山市立図書館のあるところ)で、「公開歴史講演会」がありました。講師は、阿部謹也で、演題は、「日本人の歴史意識」でした。講演の最初で、阿部は、「この講演の聴衆は、歴史の専門家だけでなく、一般の人も含んでいると聞いて、喜んででかけてきました・・・」というようなことを言っておられました。私は、その会場の末席に座って、その講演を聞いておりましたが、「一般の人」で「無学歴」で「ただの人」は、私だけのようでした。あとは、山口県立高校の社会科の教師ばかり・・・。

阿部謹也の話は、私がはじめて聴いた大学の教授の話です。

阿部は、『学問と「世間」』において、「わが国の被差別部落の成立に関しては、さまざまな見解がだされている。歴史的な経過についてはそれらの見解に譲ることにして、ここでは現在でも差別が残存し、いまだに大きな問題になっていることに注目したい・・・私は現在でも差別が残存している理由の一つに「世間」意識があると考えている。」といいます。

「近代化のシステム」と「歴史的・伝統的システム」の狭間で生まれた部落差別・・・、その学際的研究としての「部落学」の可能性は多分にありそうです。 
 

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