2021/10/03

「村」と「部落」

「村」と「部落」

「村」も「部落」も多重定義の言葉です。

日常生活や文献の中で、その言葉に遭遇するときは、複数ある意味の中のどの意味で使用されているのか、その時々の状況に応じて適切に判断する必要があります。

『広辞苑』をひもとくと、【部落】という言葉には、二つの説明があります。

①比較的少数の家を構成要素とする地縁団体。共同体としてまとまりをもった民家の一群。村の一部。

②身分的・社会的に強い差別待遇を受けてきた人々が集団的に住む地域。江戸時代に形成され、その住民は1871年(明治4)法制上身分解放されたが、社会的差別は現在なお完全には根絶されていない。未解放部落。被差別部落。

日常生活や文献の中で、「部落」という言葉に接するとき、その言葉が、①の意味で使用されているのか、②の意味で使用されているのか、常に、適切に判断する必要があります。そうしないと、とんでもない誤解が生じることになります。

部落研究・部落問題研究・部落史研究において、問題が常に複雑に錯綜するのは、その研究に使用される言葉や概念の定義があいまいなまま放置され、二重定義あるいは多重定義に陥っていることに起因すると考えられます。

使用される言葉や概念の定義のあいまいさは、部落研究・部落問題研究・部落史研究において、様々な見解や学説を派生させることになります。

現在の社会の中で使用されている「部落」という言葉は、どのように受け止められているのか、具体的な事例をもとに検証していきましょう。

私は、まだ娘が幼稚園生の頃、周防大島の子供たちと1泊2日の夏期合宿をしたことがあります。そのとき、お互いの自己紹介をしてもらったのですが、参加したこども、ひとりひとりに、一般的な自己紹介の他に、それぞれのこどもたちが自慢するところを話してもらいました。

小学6年生から順番に下級生へ、そして最後に幼稚園生に話をしてもらったのですが、最初のこどもが、「自慢するところはたけさんです。」と答えたのに続いて、おとこの子もおんなの子もみんな、「たけさん」、「たけさん」、「たけさん」、「たけさん」・・・、というのです。最後に、小さなおんなの子に、「あなたは?」と尋ねると、そのおんなの子は、「わたしもたけさん」とにこやかに答えるのです。

私は、「みんな自慢は、たけさんなの?」と聞きますと、周防大島のこどもたちは、みんな、大きくうなずきながら、「うん、たけさん」といいます。

私は、周防大島のこどもたちに、こう尋ねました。「みんな、たけさんが自慢というけれど、たけさんって何な?」

夕食前に、たけさんを見るために、近くの神社の石段まで歩いて行きました。そして、周防大島のこどもたちは、遠くの方を指さしながら、「あれが、たけさん」といいます。「たけさん」は周防大島の一番高い山でした。心なごむような稜線をもった山ですが、周防大島のこどもたちは、小さなときから、この山を見上げながら育っていると、そのとき感激しました。

こどもの頃から、「見上げる」ことができるものがあるということは幸せなことです。

人間は、悩みや苦しみ、悲しみに遭遇するとき、うなじを垂れてしまいます。しかし、そのとき、見上げることができるものがあると、うなだれた頭を上に向かってあげることができます。姿勢を正して上を見上げると、いろいろな試練を乗り越える力が沸いてくるものです。

私の妻は、福島県の会津若松市の産院で生まれました。妻の実家の畑からは、北に会津磐梯山、南に会津布引山が見えます。どのような人生の試練に遭遇しても、いつも絶対に動くことのない山を見上げることによって、生きる力がわいてきます。妻は、よく、「山口には山がない・・・」とさびしがっていました。今もそうですが・・・。

こどもの頃、見上げた山は、いつのまにか、こころの中にも存在するようになります。遠く異郷の地に生きることになっても、こころの中に存在するふるさとの山を見上げながら、様々な試練を克服して生きることができるようになります。

あるとき、周防大島出身の民俗学者・宮本常一の『家郷の訓』(岩波文庫)を読んだことがありますが、その『家郷の訓』(かきょうのおしえ)の「はじめに」に、「たけさん」のことが出ていました。

「大島は西瀬戸内海の広島湾と周防灘の間に横たわる面積十方里ほどの島であって、・・・部落の西一里半ばかりの所に嵩山(たけさん)という円頂火山がある。そのやわらかな山姿は泣く子守る山という感が深い。村よりの四望は風光明媚と言っていい。そしてこの明快なる風光が、どれほど島の人の心をやわらげ明るくしたか分からない。古くは春の光なごやかな日など、人びとは多く浜に出で、そこに筵をしいて藁仕事や針仕事をしつつ談笑していた。静かな夕暮れには山から仕事を終えてかえった人たちが浜や石垣の上に集まって沖の方を見つつ小時を雑談した。そしてこの風光のゆえに勤勉でもあり得たのである」。

私は、宮本常一の『家郷の訓』を読んで、はじめて、周防大島のこどもたちが、自慢するものとしての「たてさん」が「火山」であることを知りました。周防大島は、島全体が火山で、その火山の頂きが「たてさん」だったのです。

「たてさん」は、福島県の吾妻山・安達太良山・会津磐梯山のような荘厳な美しさはありませんが、逆に、どことなく優しさが漂う山でした。

私がであった周防大島のこどもたちと同じように、家室西方村(かむろにしがたむら)出身の宮本常一も、こどもの頃、この「たてさん」を郷土の誇り・自慢として受け止めていたのでしょうか。

宮本常一は、周防大島のひとびとは、「お互いは多くの人びとと共におり、共通の感情を持っていることをたしかめ得て意を強くした・・・これあるが故にひとり異郷にあっても孤独も感じないで働き得たのである。帰れば家郷に多くの親しき人がおり、それが自分を迎えてくれることが分かっていることが自らの意を強くさせた」といいます。

周防大島のこどもたちが異郷にあって力強く生きることができたのは、共に見上げることができた「たてさん」があったからかも知れません。ひょっこりひょうたん島の火山のような「たてさん」を思い出すごとに、共にみあげた友・仲間の存在を思い出したのかも知れません。

宮本常一の『家郷の訓』の中にさりげなく出てきた、「部落の西一里半ばかりの所に嵩山(たけさん)という円頂火山がある。」という言葉の中の「部落」は、宮本常一のふるさと、家室西方村のことを指しています。『広辞苑』の【部落】の①の意味で使用されています。

民俗学の創始者・柳田国男の流れをくむ民俗学者の多くは、「むら」(自然村)のことを「部落」という言葉で表現しています。

「むら」=「部落」として実感される世界はどのようなものなのでしょう。

『失われた日本の風景 故郷回想』(写真・薗部澄、文・神崎宣武、河出書房新社)という写真集に、「むら」=「部落」の姿が描かれています。

その「はじめに」にこのような言葉がありました。全文を引用します。

「むら-という共同体があった。と、過去形でいわざるをえないのが、いかにもさみしい。「うさぎ追いしかの山」にしろ、「母さんが夜なべをして」にしろ、その情景はあきらかに過去に追いやられてしまった。まさに、「ふるさとは、遠く」なってしまった。情景だけではない。人情も変わった。現在、道を歩いている人がほとんどいない。たまに出会っても、立ち止まって親しく会話を交わすことがなくなった。小学生も中学生も、登下校の途上では、出会う人ごとにあいさつをしていたものだが、その習慣もなくなった。それを嘆いてもはじまらないが、はて、そこまでむらが変わる必要があったのだろうか。昭和30年代のころから、向都離村。町村合併、列島改造。そしてむらの崩壊、ふるさと喪失。ここに掲げる写真は、その変化しきらない時代や地方のむらの表情を伝えるものである」。

「むら」=「部落」を実感することができない人は、この写真集を開いて追体験したらいいのではないかと思います。

団塊の世代を生きた筆者は、さいわいなことに、この「むら」=「部落」を身をもって生きることが許された世代のようです。

「むら」=「部落」という言葉の響きと意味を忘れて、「部落」という言葉が、『広辞苑』の【部落】の②の意味だけで使用されるようになるというのは、非常に残念なことです。このまま、時が流れると、【部落】の①の響きが忘れられ、②の響きのみが強く聞こえるようになってしまいます。「部落」という言葉を、被差別部落の人々によって「占有」されるようになってしまいます。そうなったとき、【部落】は、ふるさとを指す言葉として使用でてきなくなってしまいます。

被差別部落の人々が、この「部落」という言葉・概念を、本来の意味で使用しているかどうかはわかりませんが、文献をみる限りでは、「むら」=「部落」と解釈している被差別部落の人は決して多くはありません。

「部落」という言葉が、「特殊部落」・「未解放部落」・「被差別部落」の簡略形・省略形として用いられるとき、「部落」という言葉に、どうしても「賤民史観」によって植えつけられた卑賎感がともなってしまいます。

『被差別部落の暮らしから』(朝日選書)の著者・中山英一は、「部落」という言葉にともなうそのような卑賎感を払拭すべく、「部落」という言葉に、「むら」というふりがなをつけています(164頁)。『被差別部落の暮らしから』を読むとき、「部落」という漢字が出てきたら、「むら」とよんでいけば、中山英一氏が伝えたかった被差別部落の本当の姿に近づきやすくなるのではないかと思います。

「部落学」は、「部落」という言葉・概念から、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」によって色付けされ、汚された色を洗い落とさなければなりません。

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