2021/10/01

「同和対策事業」の基本資料

「同和対策事業」の基本資料

「同和対策事業」とは何なのか・・・。

1965年8月、同和対策審議会が、「同和地区に関する社会的、経済的諸問題を解決するための基本方策についての答申」(『部落解放史 熱と光を 下巻』解放出版社)を出します。その基本方策に基づく具体的な「同和対策事業」は、「同和対策事業特別措置法案、成立」(1969年6月)によって具体化されます。

それ以後、「同和対策事業」が全国展開されていくのですが、「同和対策事業」とは何だったのか・・・、一般の国民は、それほど詳しい情報を提供されているわけではありません。学校同和教育や社会同和教育で提供される情報は、表面的・形式的なものが多く、それだけでは十分に把握することは不可能です。

『部落学序説』の筆者も、被差別部落出身者ではありませんので、「同和対策事業」とその成果を身を持って経験するということはありませんでした。それでも、「同和対策事業」について認識し、その認識に基づいて発言しようと思えば、当然、「間接的」にならざるを得ません。

『部落学序説』は、徳山市立図書館の郷土史料室の資料の複写分と、筆者が収集した市販の書籍を参考資料に執筆されていますが、もちろん、徳山市立図書館だけではありません。山口県立図書館はいうに及ばず、周南地区の公立図書館で資料を探索することの多々ありました。

たとえば、新南陽市に被差別部落の歴史を調べようとして、新南陽市立図書館の郷土史料室だけを調査してよしとするのは不十分です。なぜなら、新南陽市は、同市の被差別部落の住人のことを考慮して、彼らに関する史料を「公開しない」という方針を立てている場合があるからです。つまり、新南陽市の市民は、新南陽市の被差別部落に関する情報について、市の方針で、制限された状況に置かれているのです。

そのような制限を突破するひとつの方法として、新南陽市に周辺の市町村の公立図書館の郷土史料室の蔵書をあたる方法があります。たとえば、徳山市立図書館の郷土史料室では、新南陽市立図書館に閲覧できない史料も簡単に閲覧できます。徳山市は、新南陽市の被差別部落の住人に対して新南陽市ほどに配慮をすることはないということを示しています。

当然、逆の事態も起こります。徳山市立図書館で閲覧できない史料が、新南陽市立図書館で簡単に閲覧できる場合もあります。

「同和対策事業」の主体は、国と地方の行政機関ですから、公立図書館には、意外と、同和対策事業に関する資料が保存されています。

つい最近までそうだったのですが、これが、市町村の大合併によって、それまで独立していた市町村がひとつの市になりますと、当然、同じ施策が実行されることになります。図書館行政も、従来の枠を越えて、標準化されます。すると、徳山市立図書館で閲覧することができた新南陽市の被差別部落に関する文献、新南陽市立図書巻で閲覧できた徳山市の被差別部落に関する文献のいずれも、新しい市・周南市の被差別部落の人々に対する配慮から、閲覧できなくなる可能性があります。

その場合も、周南市の周辺の市町村(山口市・防府市・岩国市・下松市・光市)の図書館で調査すればいいのですが、市町村合併で、山口市・防府市・岩国市・下松市・光市は、周南市と境界を接することになりました。

旧徳山藩の領地は、周南市だけでなく、防府市・下松市・萩市にも及びます。

つまり、被差別部落の歴史研究においては、静かに、グローバル化が進行しているのです。筆者は、地方部落史研究のグローバル化は、関連史料が「閲覧禁止」にならない限り、歓迎すべきものであると思っています。従来の市町村という枠組みでは、被差別部落の歴史を知る上で多々障碍があるのです。

森浩一は、その著『地域学のすすめ 考古学からの提言』の中で、「地域学とは、それぞれの「まとまった空間」のなかの住人(住民ではない。民というと前提としてその対極に政権がちらつく)を主人公として歴史的な展開をみようとするものである。この「まとまった空間」とは・・・歴史的地域といってもよく、生産や政治など人々との日常の活動でおのずからまとまりやすい範囲を考えている。」といいます。

そしてまた、「よくありがちな日本の歴史では、さまざまな地域が果たした役割とか特色が中央にたいしての地方として薄れてしまい、力量感の乏しい歴史になりがちである。地方史では勇気がわかず、その意味では地方史を総合したときに本当の日本歴史が語られるとおもう。」といいます。

一般史だけでなく、部落史についても、皇国史観や唯物史観によるイデオロギー的解釈を、地方史に強引に適用し、その価値基準にあうものだけをとりあげ、その価値基準にそぐわない史料や伝承を「例外」として葬りさるという「演繹的手法」ではなく、「例外」を含めて、地方史の史料・伝承が伝えているものを総合して「帰納的手法」で解明していくことが大切な時代に入っているのではないかとおもわれます。

「地方史」・「地域学」に深い関心を持つ筆者は、「同和対策事業」について言及するときも、部落解放同盟をはじめとする運動団体の事業観に依拠し、それを普遍化するのではなく、地方・地域の具体的な「同和対策事業」の把握からはじめるのをよしとします。

徳山市立図書館をはじめ、各市立図書館で保管されている、また、閲覧できる史料は少なくありません。しかも、市町村議会の議事録や委員会記録まで含めると膨大なものになります。

「同和対策事業」とは何なのか・・・。

その問いを前に、自問自答するときに、筆者が使用する資料は、山口県・山口県教育委員会が発行した『昭和39年8月 山口県同和対策の概要』です。

その内容は以下の通りです。

はじめに
1.同和地区の概況
2.同和対策事業
3.同和教育
4.同和事業及び同和教育の取扱組織
5.同和事業実績調
6.山口県における同和教育の歩み
附表

この資料は、山口県の公立図書館で閲覧できるもののひとつですが、『部落学序説』の筆者にとっては、「同和対策事業」について、「PLAN・DO・SEE」(計画・実行・評価)を考察する上での基本的な資料になります。

一般市民が、「同和対策事業」について、まじめに批判・検証をくわえることができる資料は、その中に、被差別部落の地名・人名が実名記載されていることで、「差別文書」扱いされるようになると、公立図書館は「閲覧禁止」扱いにして、図書カードで検索できるのに閲覧はできない・・・という事態も起ます。『昭和39年8月 山口県同和対策の概要』が閲覧できるかどうかは、時の運によります。あるいは、その図書館の部落史あるいは部落問題に関する認識の質の如何によります。

『昭和39年8月 山口県同和対策の概要』は、「同和対策事業」の主体(同和事業及び同和教育の取扱組織)、「同和対策事業」の客体(同和地区の概況)、「同和対策事業」の計画と実行(同和対策事業・同和教育)、「同和対策事業」の評価(同和事業実績調・山口県における同和教育の歩み)、「同和対策事業」(附表、関連の法・手続き・申請書類等)の、「PLAN・DO・SEE」(計画・実行・評価)に耐えるすべての資料を網羅しています。

しかも、『昭和39年8月・・・』というのは、昭和40年8月の同和対策審議会答申が出された、ちょうど1年前になりますから、『昭和39年8月 山口県同和対策の概要』は、同対策審議会答申前夜の「同和対策事業」に関する資料ということになります。

『蛙独言』の著者・田所蛙治氏(部落解放同盟・神戸)は、このように綴っています。

「水平社宣言」には「吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。」と書かれています。同盟の、どっから見ても「これぞホンモノの活動家」といった人でも、大概は、その出発時点では「部落と部落民は不幸で惨めで暗いものなのだ」みたいな認識からそう遠くないレベルにあったと思います。奈良の山下さんもその著書の中で、そんな風に言ってたんじゃないかな。 「物心付く頃」から私らは周囲からそのような「思い込み」を持つことを強いられて育ってきたのです。同盟の活動を通して「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲」をようやっと克服することができてきた、それが「活動家」なんだろうと思う。で、吉田向学さんがその「部落学序説」で言われる「脱・賤民史観」の主張は実にしっくり入ってくる。

『昭和39年8月 山口県同和対策の概要』は、田所蛙治氏が、「その出発時点では「部落と部落民は不幸で惨めで暗いものなのだ」みたいな認識からそう遠くないレベルにあった・・・」と述懐されている時代の「同和対策事業」を認識するのに最適な資料であるとおもわれます。

地方の資料をもとにして、「同和対策事業」の原点を展望してみましょう。

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