2021/10/01

その後も続発した中学校教師による差別事件

その後も続発した中学校教師による差別事件

1989年の秋、A市で、「社会同和教育市民学習講座」が2日に渡って開催されました(昼夜2回制・筆者は昼の部に参加させてもらう)。


初日の講師は、C市教育委員会同和教育主事の、元中学校教師Cです。その同和教育主事、講演の最初で、導入のテクニックとして、黒板に図をかきはじめました。

「これから、絵をかくので、素直に答えてください。皆様がどれだけ素直な気持ちを持っているか試してみたい。これは何ですか?」

C同和教育主事は、黒板に円(図1)を描きます。「これは、何ですか?」

すると、社会同和教育の受講生たちは、「丸・・・」と答えます。

C同和教育主事は、更に続けて、「これは・・・?」といって、三角形(図2)を描きます。

受講生たちは、「三角・・・」と答えます。

筆者を含めて、そのC同和教育主事は、何の話をするつもりなのだろうと思っているとき、C同和教育主事、更に、黒板に図を描きます。それは、円を描く動作なのですが、最初に円を描いたときと違うのは、円を描くときの始点と終点の間に空白を作ります(図3)。

C同和教育主事は、「これは・・・?」と受講生によびかけますが、誰も何も答えません。C同和教育主事、それでは、「これは・・?」といいながら、今度は三角形を描きます(図4)が、やはり、終点が始点にたどりつくまえに、ぐっと強調してやめます。「これは・・・?」と受講生に問いかけますが、受講生は何も答えません。

するとC同和教育主事、このようにいいます。「そうですね、これは円ではありませんね。ここが欠けていますから・・・」。そして、始点と終点が一致しない三角形をさしながら、「これも三角形ではありませんね。ここが欠けていますから・・・」。

C同和教育主事、黒板に図を書くことで、受講生の関心を一点に集中させながら、このように話を展開していきます。

「少々、欠けたところがあっても、それを見る側が補ってみてあげると、これも丸になり、三角形になります。同和教育もこれと同じです」・・・。

筆者は、その「社会同和教育市民学習講座」が行われたA市の隣の隣の下松市に住んでいますが、C市教育委員会同和教育主事の住んでいるのは、さらに下松の隣の市になります。詩集『部落』の丸岡忠雄氏のふるさとであるC部落と同じ市に住んでいるのですが、C市・・・、共産党の支持層の多い地域です。C部落も、山口県で、共産党系の運動団体・全解連の影響を強く受けた地区です。日本の歴史学の差別思想である「賤民史観」の影響を強く受けた場所です。被差別部落の置かれた社会的・経済的「低位性」を強調して、そこからの脱出を、部落解放運動の主眼において運動しているところです。

C市教育委員会同和教育主事・元中学校教師C氏は、講演の最後で、「同和問題を基本的人権の問題として考えていかなければならない」と力説します。「人権感覚を身につけていくことが必要」であると、その講演を結びます。

同和教育主事・元中学校教師のいう「人権」とは、いったい何だったのでしょう。

その当時、山口県立文書館の研究員をされていた北川健先生が、個人誌『むぎ』を出していますが、その第160号(1989年10月25日発行)に、「地区住民は「不完全三角形」なのか」と題して、このような文章を掲載されています。

「この9月、或る地の講座に講和しに行ったところ、地元の方が云うには、前の晩に来講の主事の先生は次のように説いた、というんです。

まず黒板に不完全な《円》と《三角形》の図を画いて、「皆さん、コレは何ですか?」って問いかける。それで、受講者は「まア、円です」・「一応三角形です」と答える。

すると、講師先生は、「そうですネ、不完全な形ですけど、皆さんはそれぞれを丸や三角形に見ましたですネ。たとえどこか不足したものであっても、整ったものとしてアタリマエに見ていく、人間についても、そういう素直でオオラカな気持ちで見ることが大切ですネ。それが同和の精神でありまして・・・」と本題に入って入った、のだそうです。

オカシイ!と思いますヨ、私は。

これだと地区の人間は「不完全」で「一本足りない」「ハンパ」だ、と云っていることでしょう。

地区の者は「一人前ではない」という偏見像を押し通している点では、例の『紙芝居』授業と通じてますヨ。

これでは「どこかチガウ」「どこかが欠けている」という偏見を否定もせずに、逆に「それでも同じものとして見なす」ことを勧めているんですからネ。どだいオカシナことですヨ。

これでは「地区の人間には欠けたところがある」と公認、公言しているのと同じことでしョ。

「チガウものをオオラカに見る」のではなく、「オナジものをアタリマエに見る」というのが同和教育のはずですよネ。それを根本から取り違えているんですから。

基本的に見方がオカシイ」。

A市立A中学校教師差別事件に際して、A教諭の、「四本指を出してはいけない。九州では大変なことになる」、あるいは、「九州のある所に行って、そんなことをしたら殺される、気をつけろ!」と、その授業の中で生徒に語った事件、そのあと、別の授業で、そのクラスの被差別部落出身の女子中学生に視線をあわせながら「四本指」を出して傷つけた事件・・・、山口県の教育界は、それは、「差別事件」ではなく、同和教育に熱心な教師の、指導上の「失言事件」として片づけてきました。A市立A中学校教師差別事件・・・、山口県の教育界にあっては、差別事件の事例として共有されることなく、闇から闇へ葬り去られていきました。その結果、同種の「差別事件」が、大手を振ってまかり通るようになってしまいました。

筆者、被差別部落のひとびとを、「特殊部落民」と呼ぼうが、「四本指」と呼ぼうが、「欠けたところのある人間」と呼ぼうが、「賤民」と呼ぼうが、問題は、その背後にあう人間観であると思います。人間を「賤民」と「良民」とに分断し、「賤民」を限りなくおとしめ、「良民」を限りなくおしあげる、日本の歴史学の差別思想である「賤民思想」・「賤民史観」の異なる表現形式であると思います。

A市の被差別部落のひとびとの「人間はみな同じではないか!」という問いかけに、山口県の教育界はこぞって、「それは違う。人間には、一般の人と、一般の人から区別された特殊な人がいる。同和教育は、特殊な人が一般の人になることをめざして行われている・・・」と言い続けてきました。

A市立A中学校教師教師差別事件だけでなく、元中学校教師のC市教育委員会同和教育主事差別事件も、差別事件として認識されないまま、更に、同種の差別事件発生の引き金になっていきます。

国の同和対策事業(地域改善対策特別措置法)の2002年3月末の終了時・・・、山口の地において、どのような形で、同和対策事業・同和教育事業の幕引きが行われたのでしょうか・・・。

門外漢の筆者の眼には、山口県の教育界(教育委員会・学校・教師)は、同和教育における差別性を自ら問い直し払拭することなく、部落差別の拡大再生産の担い手、継承者として、その現場から遠ざかっていったとように見えます。

しかも、それは、山口県の同和教育だけではなかったようです。

岡山県の同和教育においても、被差別部落民衆を「賤民」の末裔と断定してやまない、そして、インターネット上のBBSで差別思想を書きつらねて何の意も介しない、岡山の中学校教師・・・。山口のA市A中学校教師差別事件のA教諭、C市教育委員会同和教育主事のC元中学校教諭と、同質の<差別者>ではないかと思います。

大切なのは、同和教育、部落史教育のため、「賤民」からの解放・・・、という「輝かしい一ページ」を教えるために、それに先立って、生徒に「賤民」概念を教え込むことではなく、被差別部落の人々を「賤民」の末裔として見る、そういうまなざし、差別思想である部落史の視点・視角・視座(「賤民史観」)の否定と排除こそ、同和教育、部落史教育の指導の対象・課題にしなければならないのではないでしょうか・・・。

筆者、『部落学序説』とその関連ブログ群で、そんなに難しいことは語っていない。基督教会の牧師らしく、聖書的人間観に照らして、神の前において、古今東西、人間に貴賤の区別なしと主張しているに過ぎません。被差別部落の人々を、行政用語である「特殊部落」、差別用語である「四本指」、学問用語である「賤民」と表現することは、被差別部落の人々を根源的に差別・排除するいとなみであるといえます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

『部落学序説』関連ブログ群を再掲・・・

Nothing is unclean in itself, but it is unclean for anyone who thinks it unclean.(NSRV)  それ自身穢れているものは何もない。穢れていると思っている人にとってだけ穢れている(英訳聖書)。 200...