2021/10/01

なぜ、史料としての「水平社宣言」なのか

なぜ、史料としての「水平社宣言」なのか

前回、「水平社宣言」を紹介するにとどめましたが、筆者にとって、「水平社宣言」は、日本の近代史・現代史における史料のひとつに過ぎません。

その史料を、『部落学序説』の非常民論・新けがれ論などの解釈原理によって、明らかにするのみですが、これまでにも、『部落学序説』執筆の筆者の視点・視角・視座については、繰り返し言及してきました。

筆者は、近世幕藩体制下の「百姓」身分の末裔であり、いかなる意味でも、「武士」身分とは関わりがありません。「戦時」において「軍事」に携わる「武士」だけでなく、「平時」において「司法・警察」に関与する奉行・与力・同心・目明し・穢多・非人・・・とも一切関わりがありません。

筆者の先祖は、常に、「被支配」の側に身を置いていたのであって、いかなる意味でも「支配」の側に身を置くことはありませんでした。

戦後の部落解放運動の当事者、あるいは、彼らと連動して言動を繰り返した、部落研究・部落問題研究・部落史研究に携わる学者・研究者・教育者の目からみると、典型的な「差別者」の側に位置づけられる存在です。「被差別者でなければ差別者である」という強引な命題を強制されると、筆者は、間違いなく、「差別者」の側に立たされてしまいます。

『部落学序説』(「非常民」の学としての部落学構築を目指して)は、戦後の部落解放運動の中で、運動家・学者・研究者・教育者によって、「差別者」としてラベリングされ批難の対象にされる立場に身を置いていることを明言した上で、近世・近代・現代を通じて、「支配」の側ではなく「被支配」の側に身を置き続けてきた「常民」としての「百姓」の末裔の視点・視角・視座から、近世幕藩体制下の司法・警察として「支配」の側に身を置いてきた「非常民」としての「穢多」とその末裔を論じたものです。

いわば、「民衆史観」からみた、「穢多」とその末裔の姿を描こうとしたものです。

2005年5月14日に『部落学序説』の執筆を開始して以来、大量の文章を排出してきましたが、『部落学序説』の研究対象・研究方法・非常民論・新けがれ論・・・などにつきましては、運動家・学者・研究者・教育者による批判はほとんどありませんでした。

兵庫県の丹波篠山の「被差別部落」出身の政治家から、罵詈雑言をあびせられたのみです。

彼は、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群をほとんど読まれることなく、表層的に通り一遍の非難・中傷を展開しているのみで、『部落学序説』とその関連ブログ群に対する正当な批判とは到底認識することはできません。

『部落学序説』執筆開始以来、20カ月に渡って、筆者に、その執筆を許し続けているものはなになのでしょうか・・・。

団塊世代に属する筆者が、団塊世代が最も苦手とする情報リテラシーの知識・技術を駆使して、ネットワーク上で、『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆しているためでしょうか・・・。

20カ月、20万の累計アクセス件数・・・、というのは、『部落学序説』とその関連ブログ群が、ネットワーク上でもほとんど無視されているという証拠に過ぎないという同世代の、運動家・学者・研究者・教育者からの批判は、的を得ているのかもしれませんが、『部落学序説』が、「差別者」のたわごとに過ぎないとうのであれば、徹底的に批判してネットワーク上から葬り去るのがよろしかろうと思うのですが・・・。

『部落学序説』の第5章・水平社宣言批判について言及をはじめるにあたって、最初にとりあげることにしたのは、史料としての「水平社宣言」でした。

<史料としての>という、「水平社宣言」に対する筆者のスタンスのとり方は、上記の、戦後の部落解放運動をになってきた運動家・学者・研究者・教育者から「差別者」とラベリングされる立場に立たされる筆者の唯一の語りの場であるように思われます。

筆者は、無学歴・無資格をかえりみず、<史料としての>「水平社宣言」に拘泥していくのみです。

<史料としての>というスタンスのとり方以外に、「水平社宣言」に対してどのようなスタンスのとり方があるのか・・・、筆者があえて語る必要もないほど、一般化したものがあります。

それは、<人権宣言としての>「水平社宣言」を評価する、戦後の部落解放運動をになってきた運動家・学者・研究者・教育者などのスタンスです。

「水平社宣言」を、「人権宣言」として認識するのは、「水平社宣言」執筆前後にすでに存在しています。『部落の歴史と解放理論』の中で著者の井上清が言明しているところですが、近世幕藩体制下の長州藩の支藩である徳山藩の東穢多村の末裔たちは、当時の「徳山新聞」の差別記事に抗議して、このようにその理由を記したといいます。「吾等の目的とすべき処は人権主張の為なれば、主義の徹底するまでは止めず捨てず進行すべく・・・」。井上清は、この、徳山藩の東穢多村の末裔たちの言葉は、「「人権主張」という原理原則」に基づく「権力機関に対する闘争宣言」であったといいます。

井上清は、「ここには、差別されて憤慨するというだけのものではなく、その憤激を理性的認識にまで高め・・・ている」といいます。そして、「ここからあの水平社の創立宣言までは一直線であった。」といいます。

「水平社宣言」が、被差別の側の精神的葛藤の中から沸き起こった「人権宣言」であることは、否定すべくもありません。「水平社宣言」に対する、この修辞は、「水平社宣言」の本質を語ってあまりあると思うのですが、その認識は、戦前の水平社運動、戦後の部落解放運動の中で、繰り返し主張されてきました。しかも、<人権宣言としての>「水平社宣言」は、単なる人権宣言から、「日本における人権宣言」(井上清)、「日本の人権宣言」、「世界の人権宣言」として、その認識は高まる一方です。「水平社宣言の思想をもって、世界の差別撤廃運動に連帯する・・・」、全国水平社創立70周年を祝う、部落解放同盟中央本部執行委員長・上杉佐一郎のことばです。

しかし、「水平社宣言」をめぐっては、部落解放運動の更なる展開を願う人々の「水平社宣言」に対する熱き思い入れとは別に、「水平社宣言」のテキスト・クリティークを徹底しようとしている人々も存在します。「水平社宣言」の歴史的評価を不問に付して、現代の部落解放運動の理想・理念を逆に読み、「水平社宣言」を、ポスト同和対策事業・同和教育事業の運動理念足らしめようとする流れから身を引いて、「水平社宣言」を批判検証し、その歴史的再評価を獲得しようとする人々も存在します。

従来の部落解放運動の中では、部落解放運動の当事者、また彼らと連動する学者・研究者・教育者からは、「差別者」とラベリングされる一般民衆のひとりでしかない筆者は、「水平社宣言」を論ずるに、前者の立場に立つことはできず、後者の立場に立たざるを得ないのですが、無学歴・無資格の筆者は、更に、後者の立場からも身を置いて、<史料としての>「水平社宣言」について語ることしかできません。

筆者が、<史料としての>「水平社宣言」・・・、という表現を用いるようになったには、ある体験があります。(続く)

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