2021/10/01

水平社の宣言としての「水平社宣言」

水平社の宣言としての「水平社宣言」

1992年・・・、その年は、水平社創立70周年の年でした。

その年、水平社創立70周年を記念して、住井すゑ原作の小説『橋のない川』が制作、上映されました。

映画『橋のない川』は、映画館で一般上映されると同時に、映画館のない地域においてもこの映画を観賞することができるよう、全国津々浦々で『橋のない川』上映運動が展開されました。

そのとき、部落解放同盟山口県連の要請で、日本基督教団の山口県諸教会も、『橋のない川』上映運動に参加することになりましたが、柳井地区の上映運動に参加したのが、日本基督教団柳井教会でした。

そのとき、『橋のない川』の上映運動に積極的にかかわってくださったのが、日本基督教団柳井教会の当時の牧師でした。彼は、解放同盟大阪府連の池田支部で書記を担当されていたとかで、部落解放運動の集会のもち方については、いろいろ経験があるということでした。

そこで、柳井地区の『橋のない川』上映運動をどのように展開するかは、その牧師に一任することになりました。その結果、彼は、映画『橋のない川』を上映する前に、なぜ、上映運動に参加することになったのか、「観客」にその趣旨を説明したあと、「水平社宣言」を朗読することにしたい・・・と、いうのです。そして、その朗読を筆者にしろ・・・、というのです。

日本基督教団柳井教会が主体となって、映画『橋のない川』の上映運動をするのは、そんなに簡単ではなく、いろいろ障害があると思われたし、その中にあっても、上映運動に参加してくれたことを考慮すると、筆者は、「水平社宣言」朗読を無碍に断ることはできませんでした。

そして、映画上映の当日、筆者は、柳井市労働者会館のホールの「すり鉢状の底」に立って、観客を前に、『橋のない川』の上映運動の趣旨を説明したあと、観客の視線が、スポットライトをあてられた筆者に注がれる中、水平社宣言を朗読しはじめたのです。

「全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ!」

最初の一声で、静まりかえった会場が、さらに静まりかえったように思われました。筆者の耳元には、ホールの壁に反響して、「全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ!」という自分の声が、こだまのように返ってきました。

そのとき筆者は、思ったのです。この宣言は、誰が、誰に対して、何のためにしている宣言なのか・・・、と。

筆者は、「水平社宣言」をただ単に朗読していただけなのですが、ホールの壁に反響して返ってくる、「水平社宣言」の言葉と音声は、単なる朗読ではなく、「宣言」として、響いきたのです。

昔、日本基督教団神奈川教区の開拓伝道に従事していたとき、信者の方から、筆者の説教は、説教ではなくアジ演説である・・・と批判されていましたが、「さもありなん・・・」と思われるほど、「宣言」を読み上げるアジ演説として響いてきたのです。

「兄弟よ、吾々の祖先は自由平等の渇仰者であり実行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であった。ケモノの皮を剥ぐ報酬として生々しき人間の皮を剥ぎとられ・・・」、読みすすめるに連れて、筆者の顔が赤くなっていくのが分かりました。

そして、こころの中で、こう思っていたのです。

「なんなんだ、この宣言は・・・」。

「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって、祖先を辱かしめ人間を冒涜してはならぬ」。

この言葉にさしかかったとき、上映運動に参加してくださった方々の視線が、「水平社宣言」を朗読する筆者に集中的に向けられるような気がしました。その視線は、「連帯と決意」に溢れたまなざしではなく、「差別と排除」に満ちたまなざしではないか・・・、と驚愕の思いを持たされたのです。

「水平社はかくして生まれた。人の世に熱あれ、人間に光あれ。」と最後の言葉を読み終えたとき、柳井市労働者会館のホールは、更に静まりかえっていました。

1922(大正11)年の水平社創立大會のとき、「水平社宣言」を朗読したのは、駒井喜作でした。月刊雑誌『水平』第1巻第1号には、そのときの情景がこのように記されています。

「駒井氏の一句は一句より強く一語は一語より感激し来たり、三千の会衆皆な声をのみ面を伏せきょきの声四方に起こる、氏は読了ってなほ降壇を忘れ、沈痛の気、堂に満ち、悲壮の感、人に迫る、やがて天地も震動せんばかりの大拍手と歓呼となった・・・」。

「水平社宣言」を読み終えたとき、筆者は思ったのです。「この宣言は、わたしが朗読すべき宣言ではない・・・」、と。

筆者は、「水平社宣言」を朗読しながら、「この宣言は、それを朗読するものが、大衆の前に自分の身をさらすことなくして語ることができない信仰告白のようなものである・・・」と感じたのです。

キリスト教における「信仰告白」は、閉じられた世界である教会の礼拝堂の中で語られることばではありません。信仰者が、その全存在をかけて、自分の身をこの世の中に曝しながら告白することばこそ、真の「信仰告白」に値するのです。

「水平社宣言」は、「水平社」の「宣言」であり、「水平社」を創設していった「特殊部落民」、および、「穢多」と自らを称する人々の、身を曝して語る告白ではないのか・・・。筆者は、そのとき、キリスト者として、筆者の全存在をかけて、その信仰を告白することはできても、「水平社宣言」は、筆者にとって同等の意味をもっていない、というより、筆者とは無縁の世界の告白である・・・、と感じたのです。

それ以来、それまで、筆者が観念的に受け止めていた、「水平社宣言は人権宣言である」という命題をそのまま承認することはできなくなりました。「水平社宣言」が、一般的な意味での「人権宣言」であるなら、すべての人の唱えることのできる宣言であるはず・・・、しかし、「水平社宣言」は、すべての人のための「人権宣言」ではなく、「水平社」にかかわった人々の「宣言」に過ぎない。それは、彼らによる、彼らのための「人権宣言」に過ぎない・・・、と認識するようになったのです。

部落解放同盟大阪府連池田支部の書記をしていたという柳井教会の当時の牧師の要請で、『橋のない川』上映運動のときに、見ず知らずの観客を前に、「水平社宣言」を朗読した、その経験は、映画『橋のない川』を筆者をして、別様に見させることになりました。

孝二「そんなら七重さん、結婚式は」
七重「する。あの人なしでも、結婚式するの、うち」
孝二「え?」
七重「あの人はうちの旦那さんやけど、もうひとり、旦那さんいてるもん、うち」
孝二「もう一人?」
七重「うち、水平社宣言と結婚するんやもの。」

『部落学序説』の筆者である私は、「水平社宣言」について言及するとき、七重のように、愛と思いをこめて「水平社宣言」を告白することは不可能です。「水平社宣言」に対して言及する可能性は、<史料としての>「水平社宣言」でしかありません。

筆者の「水平社宣言」に対する距離のとり方を理解できない方は、筆者と同じように、見ず知らずの不特定多数を前にして、「水平社宣言」を朗読されてみたら分かります。「密室」で何の躊躇いもなく朗読できる「水平社宣言」も、多くの群衆の集まる「広場」で公然と朗読することは、非常に困難なことになります。なぜなら、被差別部落出身でないものが、「水平社宣言」を朗読(告白)することは、「精神的似非同和行為」という愚を犯さずしてなし得ないからです。

『橋のない川』上映運動のとき、筆者に、「水平社宣言」を朗読させた、部落解放同盟池田支部の書記をされていた牧師は、ほんとうは、部落解放とは何なのか、その本質を理解できていなかったのではないか・・・、と考えるようになりました。彼が、たとえ、部落解放運動の経験者であり、プロであったとしてもです。

もし、私が彼の立場であったとしたら、被差別部落出身ではない、部落解放運動に対して「生半可」な、中途半端な知識しか持ち合わせていない牧師に、「水平社宣言」を朗読させたりしないで、部落解放運動に参加し、それでメシを食ったことのある存在として、自ら「水平社宣言」を朗読したことでしょう・・・。

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