2021/10/02

「賤民史観」と遊女 その2 続・差別社会の中の「前理解」

「賤民史観」と遊女 その2 続・差別社会の中の「前理解」

日本の社会の中に生まれてきたものは、例外なく、その差別的な社会の中で成長し、差別的な教育を受けていくことになります。

筆者の受けた差別的な教育の具体例として、幼いころの記憶の糸をたどっていきますと、4、5歳のころのある経験を思い出します。

まだ、筆者の父が事業に失敗、倒産するまえの話です。その年の正月、年始のあいさつに、父につれられて、父と母の結婚のときの仲人さんのお宅を訪問したことがあります。

その年の正月は雪が降っていました。下津井電鉄の電車をおりて、そのなこうどさんの家まで歩いていったのですが、道は雪で真っ白、その両脇の家々も雪で真っ白でした。仲人さんの家は、歩いていた道が2つに分岐するあたりの手前にありました。

仲人さんの家にはいると、その応接間には、正月らしい装いがこらしてありました。明るいあかりの下で、鏡餅が一段と大きく見え、器に盛られた、掘ごたつの上のみかんは、とてもおいしそうに見えました。父は、ひととおりのあいさつをすませて、別れを告げ、そとに出ました。

すると、私の父は、もときた道をひきかえさないで、前に向かって進みながら、「朝鮮人部落を見せてあげよう」といったのです。「ちょうせんじんぶらく・・・。なになのだろう・・・。」と思っているうちに、道が分岐している一方の道を下っていくと、右側に粗末なたたずまいの長屋がならんでいました。

私の父は、一番手前の家の入り口にある「むしろ」をまくりあげながら、「ほら、のぞいてごらん。ここが朝鮮人部落の住んでいる家だよ」といって、中を見せてくれたのです。いま、考えると、私の父のとった行動は、在日の方々に対してとても失礼なことであったとこころから思いますが、当時、年齢からしても私にはそこまで洞察することはできませんでした。

父親にいわれてのぞいてみた「朝鮮人部落」の家の中は、正月であるというのに、真っ暗でした。

真っ白な雪の積もった道を歩いてきた、そして、皓々と輝く仲人さんの家の明るさとくらべて、「朝鮮人部落」の家の中は、光がほとんどない、真っ暗な世界でした。それでも、少し、目がなれてくると、家の中の奥の方で、かすかに光が見えました。それは、火鉢の火のようでした。その火鉢をかこんで、家族の方々が取り囲んでいるようで、暗闇の中にも、火鉢の小さな光に照らされて、ひとの動く気配がしていました。

私の父は、その家のひとに、ひとことも声をかけることもなく、その家をあとにしました。

父がおろした「むしろ」とともに、雪の積もった下り坂の道をかけぬけて、冷たい風が、その家の中に吹き込んでいきました。

そのことが、まだ幼い私の記憶の残ったのは、「光」と「闇」とのコントラストが強烈であったためでしょう。

明るいひかりの中でお正月を祝っている家もあれば、すぐ近くの家で、家の入り口に「むしろ」をかかげ、暗闇の中で火鉢を囲んで暖をとっている家もある・・・。

「差別」ということばと関連して、私が、記憶の糸をたどって思い起こすことができる最初のできごとはこのようなできごとです。

岡山県の小学校・中学校は、戦後、積極的に視聴覚教育(特に映画観賞)を取り入れていましたが、「むしろ」の向うにある闇の世界が、闇のままに終わらず、火鉢の火に目がなれて、そこに住んでいるひとびとの顔を見えるようになったのは、小・中学校の視聴覚教育を通してでした。戦争・疎開・被爆・アイヌ差別・部落差別・朝鮮人差別・女性差別・障害者差別・戊辰戦争・西南戦争・・・、映画の映像によって、私が父に連れられてみたあの闇の世界は、徐々に白日のもとにさらされるようになりました。

私の父は、まもなく、最愛の長女(私の姉)が、卸値を父の同業者に騙されてもらしたことをきっかけに、一瞬にして得意先を失い倒産してしまいました。それからというもの、貧困と病気の繰り返しで、わが家の中には明るさと輝きが失われていきました。

少し、年の離れていた姉は、「家族の犠牲になるのはいや・・・」といって、結婚して家を離れてしまいました。父は、心労がたたって目を患い、徐々に視力を失い、1級の障害者になってしまいました。貧しさと病気によって繰り返しもてあそばれる中、筆者が高校3年生のときの正月、父は脳軟化症で倒れ、5年間寝込んで、嫁いでしまった姉の名前を呼びながら去っていきました。

私が通っていたキリスト教会の信者の方の中には、「あなたとなら、一緒に苦労してもいいといっているひとがいるのだけれど・・・」と何度か声をかけてくださる方がいたのですが、私は、全部断りました。家族の問題は家族の問題、結婚する相手を不幸の中に巻き込みたくないと・・・。

そんなある日、日本人牧師が、「あなたに助手をつけるから・・・」というのです。そのころ、教会の週報や、各種資料作りは、謄写版で行っていましたが、教会の事務の仕事(奉仕)の助手をつけるというのです。

とてもきれいなひとで、仕事はてきぱきと片づけてしまいます。無口な筆者と違って、話好きで、いろいろなことを話しかけてきます。

あるとき、私たちが通っている教会のことをほかの教会のひとから批判されたとかで、非常に立腹していました。「私たちの教会のことを、ほかの教会のひとから批判されたくないわよね!」と語気を強める彼女に、私は、「よくわかるよ。自分の国のことを他の国のひとから批判されたら、腹たつものね・・・」と答えたのですが、そのとき彼女は、急に口を鎖して、ひとことこういったのです。「吉田さんも他の男のひとと同じね・・・」、元気で明るい声の彼女の声は、小さく、失望に混じった声に変わっていました。

その次の週から、そのひとは、私の手伝いにはあらわれませんでした。礼拝にも参加していないようで、あるとき、日本人牧師(外国人宣教師と区別して)に聞きました。するとこんな答えが返ってきました。

「なにでも、突然、見合いをして結婚することが決まったとか・・・。あの娘は、在日朝鮮人で、神奈川県川崎市の同じ境遇にあるひとと結婚することがきまったそうですよ。あまりにも突然すぎて、私もビックリしているんですよ。」という話でした。

日本人牧師のことばを聞きながら、私は、「吉田さんも他の男のひとと同じね・・・」という彼女のことばは、「吉田さんも、民族差別をするほかの日本人と同じね・・・」という、筆者の中にある差別性に対する失望と抗議の声であったことを知りました。

当時の教会は、「クリスチャンホームの数を増やすことが教会発展の基礎につながる」といわれていたので、教会の役員の方が、「クリスチャンホーム」をつくるために、いろいろなカップル作りをされていたことは知っていましたが、「もしかしたら、教会は私の伴侶として彼女を・・・」との思いが一瞬あたまの中を過ったのですが、「いいや、そんなことはありえない。もし、そうなら、教会の役員会は、最初から、彼女が在日朝鮮人であることを告げたはずだ・・・」と思って打ち消してしまいました。

単なる差別語の指摘ではなく、ものの見方・考え方が問われたように感じられてショックを覚えました。

そのひとの住んでいる場所は、私が幼いころ、父親に連れられていった「朝鮮人部落」にあるということでした。おさないときに見た、暗闇の中に、ちいさな火鉢を囲んで家族が暖をとっていたあの中に、もしかしたら、そのひともいたのかもしれない・・・と思うようになりました。

日本人牧師から、「善意」でもちこまれる結婚話を断り続けて、結局、その教会を離れることになりました。

私にキリスト教の信仰を教えてくれたスウェーデンの宣教師は、「信仰をもって所与の人生を受け入れる」ことの大切さを説いていました。その信仰にたつ限り、「所与の人生」を秘して生きる、被差別部落のひとや在日朝鮮人・韓国人のひととの間に、ものの見方や考え方の違いがうまれてもしかたがありませでした。日本の社会の差別性を考えると、彼らの行動パターン(島崎藤村の『破戒』に出てくる俗説的丑松のパターン)も理解できないわけではないのですが、問題解決の最短の道は、「信仰をもって所与の人生を受け入れる」ことです。

しかし、「遊女」の問題、女性差別の問題は、まったく別な問題です。人間が考え出した差別の中で、最悪の差別です。「遊女」になるということは、人権侵害の極みです。被差別部落のひとびとや在日のひとびとが、「昔、・・・であった。今、・・・である。明日も、・・・であり続ける。」と思考できるのと違って、近世・近代の「遊女」には、「昔、・・・であった。今、・・・である。明日も、・・・であり続ける。」と、自己のアイデンティティ(自己同一概念)を主張することはなじみません。「遊女」になるということは、自己同一概念の剥奪・破壊以外のなにものでもないからです。女性と「遊女」へと駆り立てたのは、男性的権力の策動以外の何ものでもないのです。

明治5年10月2日、司法卿・江藤新平のもとで、明治政府は、「太政官布告第295号」を公布します。その条文に、「娼妓・芸妓等年季奉公人一切解放致すべし」とあるところから、「芸娼妓解放令」または「遊女解放令」といわれます。

明治政府が出した布告の中で唯一「解放」ということばが含まれる布告です。

明治6年政変によって江藤新平が政敵・大久保利通によって排斥され、「芸娼妓解放令」または「遊女解放令」がなし崩しに元の木阿弥にされるまで、明治新政府の近代的、民主主義的な人間解放・人権宣言とされたものです。この明治5年の布告は、明治4年の「穢多非人等ノ称廃止」の布告となにの関係もない、むしろ拮抗関係にある布告なのです。

「遊女」の問題をふくめ、女性差別問題に関して批判・検証するとき、上野千鶴子著『ナショナリズムとジェンダー』という、性差別を乗りこえる手引書があるのは幸いです。筆者の中にある「差別性」に拘束されながらも、なんとかその「差別性」を突破して、『部落学序説』の視点・視角・視座をまっとうすることができます。

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