2021/10/02

賤民史観と「解放令」 その7 「唯物史観」と「皇国史観」の共通属性としての「賤民史観」

賤民史観と「解放令」 その7 「唯物史観」と「皇国史観」の共通属性としての「賤民史観」 

『部落学序説』の筆者である私は、最初から、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を批判検証の対象にしてきました。

しかも、「唯物史観」と「皇国史観」の共通属性として、「賤民史観」をとりあげてきました。その際、「唯物史観」と「皇国史観」を自明の理として、何ら明確な定義をすることはありませんでした。

それが、第4章第9節第6項の執筆をはじめて、「唯物史観」と「皇国史観」の「差異」を明らかにする必要が生じて、筆者は大いに戸惑っているのです。

戦前・戦後の部落史研究の主流は、「唯物史観」の影響を受けていて、どの論文・研究書をひもといてもなんらかの情報を入手することができます。井上清著『部落の歴史と解放理論』・原田伴彦著『被差別部落の歴史』・沖浦和光著『「部落史」論争を読み解く』・・・など、基本的は著作に目を通せばすぐにわかります。

しかし、「皇国史観は?」といいますと、「皇国史観」についての論文・資料をほとんど持ち合わせていないことに気がついたのです。

もちろん、『部落学序説』の筆者は団塊の世代で、戦後生まれですが、しかし、社会の片隅にはまだまだ戦争の傷跡を引きずった多くの人々が存在していました。「皇国史観」は、目と耳を通して、筆者のものの見方や考え方に流入されてきたように思われます。

史料や資料をひもとかなくても、「皇国史観」はなにとなく実感できる存在であったのです。

青空にはためく日の丸を見ては、胸がジーンとします(現在形)し、君が代の耳にしては、美しい響きであると感じます。「無意識」のレベルで、そういう基本的な感情を持っていることは否定しようもないのです。

筆者の美意識では、かつての戦争中、軍人たちが、日の丸に自分達の名前を寄せ書きしたり、血で染め抜いたりした写真をみると、「日の丸」を汚した行為・・・として嫌悪感を抱いてしまいます。

日の丸を血でそめた、かつての軍国主義者・・・。

筆者の中には、相反する、異なる感情が雑居しています。

「皇国史観」はあえて学ばなくても、それらしいものを、残された記録や、祖父母・父母の伝承を通して「実感」することはできたのです。

しかし、いま、「皇国史観」について言及しようとすると、「なぜか、手元に皇国史観に関する資料がひとつもない・・・」という事態に直面して、とまどっているのです。

こういうとき、筆者は、よく、最後の手段として、『広辞苑』(初版)をひもときますが、『広辞苑』にも、「皇国史観」ということばは収録されていないのです。「皇国」と「史観」ということばは収録されていますが、複合語としての「皇国史観」は、『広辞苑』から削除されているのです。

戦後の「唯物史観」に立つ学者・研究者・教育者から「非科学的」として徹底的に排除された「皇国史観」は、その名前もろとも『広辞苑』から排除されてしまったのかもしれません。

平凡社『世界大百科事典』(1972年版)の索引にも、「皇国史観」という項目はありません。

「皇国史観」は、戦後、タブー視され、そして戦後60年経過した今日も、そのタブー視は継続されているようです。

無学歴・無資格の筆者のとる次の手は、手元にある資料・論文に目を通して、「皇国史観」の断片的情報を収集し、それを、筆者なりに再構成する以外に方法はありません。

またまた無謀な試みとして、読者の方々から失笑を買うことになるかもしれませんが、「唯物史観」の対極にある「皇国史観」を明らかにすることによって、「科学的」(学問的)歴史観といわれる「唯物史観」と、「非科学的」歴史観といわれる「皇国史観」の、明治4年の太政官布告を解釈するときの「同質性」(「賤民史観」)を明らかにしていきたいと思います。(続く)

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