2021/10/01

ある中学校教師による差別事件

ある中学校教師による差別事件

西中国教区の小さな教会に赴任してきてすぐ、西中国教区部落差別問題特別委員会の第1期の委員を担当させられました。

部落差別問題特別委員会は、2年毎に、西中国教区総会で改選されますので、筆者は、4期8年、西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員をしていたことになります。

しかし、部落差別問題特別委員会の委員として、部落差別問題に関われば関わるほど、筆者が所属している西中国教区山口東分区の諸先輩牧師との間でトラブルが発生するようになりました。特に、徳山教会の加藤牧師などは、筆者を徹底的に排除、その批判と攻撃は、筆者が、山口東分区の牧師会から離脱(そのことで、西中国教区の組織上、西中国教区の宣教活動そのものから排除されることになります・・・)するまで続きました。

京都教区から西中国教区に転任してきた、日本基督教団の部落差別問題特別委員会の委員長・東岡山治牧師は、西中国教区の有力牧師の助言を入れて、筆者をその取り組みから排除しました。「それは正解であった・・・」という東岡山治牧師は、筆者に代えて、加藤牧師が、東岡山治牧師が主催する、西中国教区部落解放現場研修会に参加するようになったと諸手をあげて喜んでおられました。

筆者の目から見ると、<差別者>と思われる加藤牧師と手を握り、山口の地で、困難な状況の中、部落差別問題と取り組む筆者を切り捨てる、日本基督教団部落問題特別委員会委員長・・・。その理由を、東岡山治牧師は、筆者に、「君と手を結んでも、献金のアップにつながらない。君に反対する牧師や信徒を受け入れると献金アップにつながる・・・」と語っていました。

通常なら、そういう状況に置かれますと、部落差別問題の取り組みから後退し、2度と関わらなくなるのが普通です。

それにも関わらず、筆者が、西中国教区部落差別問題特別委員会の委員を辞退したあとも、部落差別問題にかかわり続けたのは、それまでに出会った、部落解放同盟新南陽支部の<部落史研究会>の方々の、部落差別をなくしたいという真摯な取り組みがあります。

今週、『部落学序説』第5章以降の執筆を再開するために手持ちの史資料を整理していて、1980年代、<部落史研究会>の方々が作成された「某中学校教師差別事件」に関する論文と資料集が出てきました。

某中学校教師は、兵庫県の某中学校で同和教育を経験してきた人です。その成果を背景に、山口県の某市某中学校でも同和教育を担当されていたのですが、その取り組みの中で発生した、某中学校教師による差別事件です。

筆者が、まだ、日本基督教団の牧師になるために神学校で勉学していた、最終学年の1980年12月に発生した差別事件です。

同和教育に深く関わり、自他共にその実践者として評価される中学校教師が、なぜ、教室の授業の中で差別事件を起こすのか・・・、<部落史研究会>の方々が作成された「某中学校教師差別事件」に関する論文と資料集は、冷静で緻密な分析をもとに、部落差別問題を無くすためにていねいな提言をしています。

この、某中学校教師による部落差別事件・・・、筆者が山口の地に来てはじめて、新聞等のマスコミを通してではなく、差別される側の「文書」を通して、はじめて知ることができた差別事件でした。

その論文・資料・・・、四半世紀たった今、読み直しても、問題の深刻さを思わされます。

ひとりの中学校教師の差別的体質の背景には、山口県の同和教育の体質があります。父を、山口大学教育学部の教授を持つ、その中学校教師・・・、彼を管轄する教育委員会は、「差別事件」ではなく「失言事件」である・・・、と擁護します。

『部落学序説』とその関連ブログ群の著者である筆者に向けられた、岡山県の某中学校教師による誹謗中傷・罵詈雑言の一連の言説・・・、朝令暮改のように書いては消され、消しては書き込まれるそのBBSの記事を、筆者、もらすことなく、記録に留めてきました。人権問題・同和教育に関わっていると宣言する、岡山県の中学校教師と、四半世紀前に山口県の某中学校で差別事件の当事者である某中学校教師と、ほとんど<同体質>であることに、筆者、唖然とさせられます。

筆者が、部落差別問題に、自主的・主体的に取り組む一因となった、「某中学校教師差別事件」と部落解放同盟新南陽支部・部落史研究会の批判・検証・・・、『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座から見直すことにしましょう。

部落差別の完全解消は、差別事件の<忘却>ではなく、徹底的な<知解>によってもたらされると信じるが故に・・・(『田舎牧師の日記』に掲載しているものと同じ文章です)。

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