2021/10/03

「太政官布告と地方行政」を論じるための資料について

「太政官布告と地方行政」を論じるための資料について


明治政府から出された、明治4年の太政官布告第488号と第489号は、極めて簡潔なものです。

[太政官第488号、布告8月28日]
穢多非人等ノ称被廃候条、自今身分職業共平民同様タルベキ事。

[太政官第489号、布告8月28日]府県
穢多非人等ノ称被廃候条、一般民籍ニ編入シ身分職業共都テ同一ニ相成候様可取扱、尤モ地租其外除蠲ノ仕来モ有之候ハバ引直シ方見込取調大蔵省ヘ可伺出事。

この太政官布告は、いわば「穢多非人等ノ称」廃止をめぐる一連の施策の基本方針のようなものです。明治政府は、同年7月廃藩置県によって成立したばかりの「府県」に対して、この基本方針の具体化を求めます。「藩」から「府県」への移行手続きが進められる中、「府県」は、前近代の「穢多非人等ノ称」廃止にこめられた様々な施策を基本方策の形でまとめ、「府県」民に公布します。

その基本方策は、様々な呼び方がされます。「告諭」・「諭告」・「条令」・「触書」・「布告」・「公布」・「廻達」・・・。実に多様な呼び方がされていますが、呼び方だけでなく、基本方策の内容も府県によって多様な内容が織り込まれていきます。

明治政府は、明治4年7月の廃藩置県において、近世幕藩体制下の「藩」を解体し、近代中央集権国家に相応しい「府県」に組織替えをしていきますが、「藩」から「府県」への移行に際して、「藩」制度が大きく障碍になったであろうことは想像に難くありません。

近世幕藩体制下の幕府による統治形態は、特定の施策、たとえばキリシタン禁教政策等は、幕府が強権を発動して「藩政」を著しく制限しましたが、それ以外については、「藩政」に大幅な権限を与えていました。

特に、「同心・目明し・穢多・非人・村方役人」等によって構成される近世幕藩体制下の司法・警察本体である「非常・民」制度については、幕府から「治外法権」を与えられ、それぞれの藩の歴史と状況を踏まえて独自に構築されていましたから、明治4年7月の廃藩置県によって、「藩」が解体された直後というのは、「非常・民」制度は実に多種多様であったと推測されます。

それぞれの「府県」が、旧藩時代の歴史や制度を斟酌しながら公布した、明治4年の「穢多非人等ノ称」廃止の基本方針に対する基本方策は、当然のことながら、旧藩時代の歴史や制度を色濃く反映したものになりました。

「告諭」・「諭告」・「条令」・「触書」・「布告」・「公布」・「廻達」・・・等の名称で出された基本方策は、廃藩置県当時の「府県」の数だけ、その文面の異なるものがあったということになります。

今回、「太政官布告と地方行政」と題して論ずるとき、理想を言えば、すべての「府県」の「告諭」・「諭告」・「条令」・「触書」・「布告」・「公布」・「廻達」・・・等を比較・分析・集約して、全体像を明らかにしなければならないと思われます。

徳山市立図書館に行けば、そのための資料は簡単に閲覧できます。

しかし、筆者にはそのための時間を、とうとう割くことはできませんでした。手持ちの資料の中から、長野・山梨・三重・京都・大阪・堺・兵庫・徳島・高知・丸亀・山口・・・等を拾い出して論ずることになります。

それらの「府県」の基本方策を比較研究する際に、筆者が、試行錯誤のうえ、採用した比較元は、三重県の『平民籍編入についての触書』です。三重県の『平民籍編入についての触書』は、沖浦和光編『水平人の世に光あれ』(社会評論社)という、幕末から水平社宣言までの部落史関連史料集に掲載されている『平民籍編入についての触書』を使用します。

沖浦和光編『水平人の世に光あれ』は、筆者のような無学歴・無資格なものにとっては、岩波の『日本思想大系』や『日本近代思想大系』、『日本古典文学大系』のように、沖浦和光による適切な訳注と、巻末の長文の解説は非常に便利な道具になります。筆者は、この沖浦和光編『水平人の世に光あれ』を使い古しているのですが、部落差別問題を自分なりに調べなおしたいと思われる方は、入手されることをお勧めします。

そして、もう一冊、日本の歴史学に内在する差別思想である「賎民史観」から見た、三重県の『平民籍編入についての触書』の研究論文として、黒川みどり著『地域史のなかの部落問題 近代三重の場合』(解放出版社)をとりあげ、筆者の「非常民の学としての部落学」の立場から批判検証します。

無学歴・無資格の筆者は、当然、黒川みどりに対しても一面識もありません。巻末の「著者紹介」によると、黒川は、早稲田大学で日本史学を専攻された方で、現在、静岡大学教育学部教授をされている文学博士とか・・・。学者であり教育者である黒川は、日本史学の優秀な教授であればあるほど、日本の歴史学に内在する差別思想である「賎民史観」に無意識のうちに囚われていると思います。学者・教育者の両側面をあわせもっておられる黒川への批判を通じて、部落研究・部落問題研究・部落史研究の限界を明らかにすることができると思います。

筆者は、黒川を批判のために批判するわけではありませんので、次回、黒川の研究姿勢を、彼の論文《近代社会と部落差別》(『脱常識の部落問題』かもがわ出版)を通して紹介します。その上で、黒川の、三重県の『平民籍編入についての触書』に関する言及をとりあげます。

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