2021/10/03

明治新政府に対する外圧

明治新政府に対する外圧


幕末期における、黒船の来襲は、日本に鎖国政策を放棄させ開国することを迫る「外圧」として知られています。

この日本政府(徳川幕府・明治師政府)に対する「外圧」は、ペリー率いるアメリカの軍艦による日本開国への圧力にとどまりません。開国後も、諸外国、特にイギリス・アメリカは、様々な形で「外圧」に「外圧」を加えています。

明治維新による、徳川幕府の解体と明治新政府の樹立についても、諸外国の「外圧」が存在したようです。

西郷隆盛が大久保利通にあてた書簡によると、「第一英国の所存は、日本国王、政柄を握らせられ、其下に諸侯を置いて、国体の立方、英国にひとしき制度に相成候儀専一に願居候」とあります(『大西郷全集』)。

「イギリスの考えは、まず日本の皇帝が政権を掌握して諸大名をその下に置き、政体(あるいは国体)を万国の制度とひとしいものに制定するにある、これが何よりも先決問題である」(『一外交官の見た明治維新(下)』岩波文庫)というのです。

これは、日本の国体に対して、イギリスの外交官が「内政干渉」をしていると受け止める向きもあったのでしょうか・・・。西郷隆盛は、その外交官の言葉に不愉快さを覚えているようです。

筆者は、このイギリスの外交官の言葉から、イギリスの明治新政府に対する期待が何であったのかを想定することができると思われるのです。

まず、イギリスは、フランスと異なる影響を日本に与えようとします。フランスは、幕府に反旗を翻す薩摩・長州を反乱軍として鎮圧して、幕府による「西洋各国のように単一な統一された政府」を作るように、幕府に働きかけていました。それに対して、イギリスは、幕府の統一国家としての統治能力に疑問を感じ、むしろ、イギリスの指導のもとに、藩の近代国家化をはかる薩摩・長州を枢軸に、日本の近代国家化を押し進めようとします。

イギリスは、まず、第一に、天皇による「王政復古」を擁護します。イギリス外交官のいう「王政復古」は、「俗界の皇帝」である徳川幕府の将軍を廃止し、「宗教上の皇帝」である天皇に「俗界の皇帝」の権能を併せ持たせる制度を復活させるという意味です。イギリスは、明治新政府樹立に際して、「政治」と「宗教」の頂点としての天皇の権威を容認していたということになります。

イギリスは、明治新政府の、日本独自の宗教である「神道」の頂点たる天皇を認め、近代日本が「神道」による国家形成をすることを最初から容認していたといえます。イギリスだけでなく、他の諸外国についても同じことが言えるのではないかと思います。

第二は、「その下に諸侯を置く」というのです。イギリスが期待しているのは、幕藩旧体制から明治新体制への「ゆるやかな変革」です。それは、旧体制(藩主)を、明治新政府に組み込みつつ、徐々に、「万国」(欧米諸国)の政治体制に、日本の「国体」を近づけていくというものです。

イギリスだけでなく、諸外国は、明治新政府に対して、急激な政治改革ではなく、段階的政治改革を望んでいました。オーストリアの外交官は、明治新政府が急激に「神道国家」の建設を急ぐ樣を批判して、「政府は民衆の宗教(仏教諸派及び基督教)を破壊することにおそらく成功するかもしれない。が、それは悲しいかな、政治的成功に過ぎない。だからといって、政府が後押しをする宗教(神道)を、うまく民衆に受け入れさせることができるかどうか、そうなると難しかろう。してみると、そういう宗教政策は、破壊行為であって、それ以外の何ものでもないのだ」といいます。

欧米各国の外交官の多くは、日本の明治新政府に対して、キリスト教を強制する意図はほとんど持ち合わせていなかったのでしょう。日本には、日本古来の宗教(神道・仏教等)がある、その宗教に対する寛大さこそ、近代国家のしるしであると考えていたと思われます。

オーストリアの外交官は、「既得権利が全く尊重されていないこと、諸措置の専制的なこと、あらゆるものを攻撃する軽佻浮薄さ、天皇の御名に隠れて破壊解体が行われていること」、「天皇の威信は二千年来のものだが、大臣たちの無遠慮で不慣れな手に掛かると影が薄くなりかねないこと」に、「同意できない」といいます。

欧米の外交官の眼には、明治新政府の急激な、「ヨーロッパに範を仰いだ模倣」政策は、外見上「いかに魅惑的なものであろうと、蛮行」に過ぎないといいます。失われてゆく、日本の制度や文化、宗教や民俗を惜しんだのが、日本の武士階級をはじめとする知識人ではなく、欧米の外交官であったということは、歴史の皮肉としかいいようがありません。

彼は、「岩倉の二人の息子はいまニューヨークにいる。身分の高い人々が自分の子供たちを欧米に送り出すことが大流行しているのである。欧米帰りの人たちはヨーロッパ風の衣装を身につけているが、失礼ながら可哀そうな・・・猿まねといった感じだ。それとまったく同様に、我々が丁髷をつけたり、夏に褌一丁で扇を持って庭を散歩したりしたらたいへん滑稽に見えるだろう。・・・いまにも人心に大混乱を引き起こすのではないか、いやたぶんいつか流血を伴うような大反動を誘発するのではないか、こう私は恐れる」といいます。彼は、日本には、狂信的な、「「進歩せよ、ヨーロッパを模倣せよ、そして伝統的な事物を軽視せよ」という声がこだましている」といいます。

諸外国の外交官は、明治新政府による「近代化政策」は、「実際には、中央政府の指導者が諸藩の指導者にスローガンを与えて、自分たちが口述筆記させた請願書を、あたかも諸藩の自由な発意から出たかのように利用している・・・」に過ぎないといいます。民衆についても、「実際には民衆は革命に全く参加しなかったし、政治に関わってはいないのだ。・・・民衆は礼儀正しく愛想がよく、政治には無関心なのである」といいます。

明治新政府は、欧米諸国から、そのようにみられていることを知りつつ、なぜ、急激な日本の近代化・欧米化を進めなければならなかったのでしょうか。

明治時代に培われた悪しき習慣は、現代社会の中にも引き継がれています。

「欧米諸国は、日本をキリスト教化しようとしている。日本は、断固それを排除して、日本をキリスト教国家に対峙できる神道国家足らねばならない・・・」。

諸外国が、明治新政府に求めたのは、日本の極端な欧米化・近代化ではなく、日本が日本固有の存在として、その制度や歴史・文化を継承しつつ、その上でなおかつ欧米諸国と「外交」・「交際」していくことでした。明治新政府のいびつな保守主義と進歩主義のコンプレックス(複合体)が、日本の近代化を大きく決定づけ、間違った方向へと導いていったのではないかと思います。その影響は、今日においても、私たち日本人の精神構造に深く影響を与えています。

明治新政府は、欧米諸国が評価する日本の制度・文化を廃棄し、欧米諸国が撤廃を求める制度・文化を固守し継承しようとします。

明治維新に力を貸したイギリス・アメリカは、明治新政府に、密約の履行を迫ります。近世幕藩体制下の警察制度の優れたところを継承しつつ、前近代的な「拷問制度」の廃止を求めます。しかし、明治新政府は、イギリス・アメリカをはじめとする欧米諸国の要求を否定する形で施策を展開します。諸外国が優秀であると認めた近世幕藩体制下の「警察」組織を解体(廃藩置県・明治4年太政官布告61号)し、諸外国が撤廃を求めた「拷問制度」の維持・継承を画策するのです。明治新政府のこの政策は、明治新政府が、「国辱」と受け止めていた、治外法権撤廃の交渉をさらに難しいものにしてしまいます。

筆者には、明治4年の太政官布告61号による、近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」の解体と隠蔽化は、明治政府の外交上の失策・失敗であると思われます。この明治新政府の失敗・失策は、『部落差別を克服する思想』の著者・川元祥一がいう「日本の官僚たちの喉に突き刺さった魚の骨」としての近代「部落差別」の直接の原因になっていくのです。

「部落差別」は、国内問題に還元できるものではありません。「部落差別」は、明治新政府と欧米諸国との外交に際して発生した様々な問題(拷問制度・キリシタン弾圧)に対する、明治政府のコンプレックス(精神的複合状態)が引き起こした反応なのです。筆者は、「部落差別」の本質は、明治新政府と欧米諸国との交渉(外交)を視野に入れて解明しなければ、その本質を把握することはできないと思っています。この『部落学序説』は、最初から、明治新政府が「外圧」として受け止めてきた欧米諸国との外交に関する文書を視野に入れて、明治4年の太政官布告61号(日本の歴史学の差別思想である「賤民史観」によって「部落解放令」・「賤民解放令」・「賤称廃止令」と呼ばれているもの)の本質を把握しようとしています。明治4年の太政官布告61号は、明治新政府の引き起こした不幸な失敗・失策以外の何ものでもないのです。明治新政府は、政府に対する批判を許しませんでした。長い、学問・研究の禁忌状態の末に、多くの部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者は、その事実を研究の視野の外に追いやり、忘れてしまったのです。

明治4年の太政官布告61号を、「過去を振り返る」ことで、現在の価値観を読み込むのではなく、「過去に立ち戻る」ことで、その時代の太政官布告61号が出された政治的意図を明らかにしなければなりません。

0 件のコメント:

コメントを投稿

『部落学序説』関連ブログ群を再掲・・・

Nothing is unclean in itself, but it is unclean for anyone who thinks it unclean.(NSRV)  それ自身穢れているものは何もない。穢れていると思っている人にとってだけ穢れている(英訳聖書)。 200...