2021/10/03

キリシタン弾圧と拷問

キリシタン弾圧と拷問


明治政府の悲願・「不平等条約撤廃」、特に「治外法権」撤廃の障碍となった「拷問」制度とは、どういう制度だったのでしょうか。

近世幕藩体制下の「拷問」も、多重定義の概念でした。「拷問」について体系的な説明を提示してくれるのは、何といっても日本法制史の研究者・石井良助でしょう。彼の著書・『江戸の刑罰』(中公新書)から、「拷問」とは何かを検証してみましょう。

石井によると、「拷問」は、上位概念としての「拷問」と下位概念としての「拷問」が存在していたようです。上位概念としての「拷問」の下に、下位概念の「拷問」と、「牢問」が存在していたのです。

近世幕藩体制下にあっては、「有罪の嫌疑があれば、まずこれを入牢させて、それから「吟味」にとりかかった」といいます。当時の「牢屋」は「未決拘禁所」であって、犯罪の容疑者に対する取調が行われる場所でした。その取調を「吟味」といいますが、「吟味」に際して、犯行を認めようとしない重罪の容疑者に対して、証拠を前に自白を強要したのが「拷問」です。

近世幕藩体制下にあっても、「証拠」は犯罪立証の重要な根拠でした。ただ、近現代の犯罪の捜査と違って、「証拠」を集めるだけでは不十分で、「証拠」にあわせて「自白」が犯罪立証の必要条件として要求されたのです。「証拠」がそろっていても、犯罪の容疑者が「自白」しなければ、犯罪として立件できなかったのです。

石井は、「近代の未決監は、有罪の判決のないうちは無罪であるという前提に立っている」が、近世幕藩体制下においては、逆に、「有罪」か「少なくともそれに近い者」という認識があったといいます。「吟味」においては、「犯罪の容疑者」=「犯罪者」という前提で、犯行を否認する者に「拷問」が課せられたのです。

石井は、「拷問は当時でも重大事と考えられていたので、これをなし得る場合は限定されており、滅多には用いられなかった」といいます。「拷問」の方法は、「釣し責め」のみでした。「釣し責めは、両手を後で縛って、牢屋内の拷問蔵で上から吊るすことである」といいます。

石井は、「拷問が滅多に行われなかったのは、被疑者をうまく誘導して自白させるのが吟味役人の手柄とされていたから、拷問をすることは自己の吟味下手を公表するようなものだと考えられたことが主な原因である」といいます。

『江戸町奉行 支配のシステム』の著者・佐藤友之は、「拷問蔵」は、「牢屋敷の一角」に建てられたもので、「拷問の悲鳴が外部に漏れないように、建物全体が分厚い壁で覆われた蔵づくりの取調室である」といいます。佐藤は、「拷問にはルールがない。何回叩くか、決まりはなかった。皮膚が破れて血が吹き出すと砂をかけ、失神すれば水をぶっかけ、息を吹き返すと再び拷問杖をふるった・・・」といいます。「中には最後まで無実を貫き通して、責め殺された者もいた・・・」といいます。その場合、無実の死をとげた人は「吟味中病死」として処理されたといいます。佐藤は、「こんにちでも、実情はあまり変わらない」といいます。取調に際して「拷問」が採用されるという点だけでなく、捜査全体、また、司法・警察のシステム全体が近世と近現代の間に大きな違いはないといいます。

佐藤の説は、筆者にとって確かめようがありませんが、時々発生する「冤罪事件」の背後に、「拷問」による「自白の強制」が指摘されますが、あながち、事実無根というわけではなさそうです。

石井によると、佐藤のいう「吟味中病死」という処理は、一般的ではなかったようです。石井は、「拷問しても白状が得られないとき、察渡詰(さっとづめ)といって、老中の許可をえて処刑したこともある」といいます。「老中の許可」なくして実施された犯罪容疑者の取調段階で変死は、当然、取調の行き過ぎとして責任問題に発展したでしょう。吟味をする、同心・穢多・非人等の判断で行われるものではありませんでした。同心・穢多・非人等は、吟味に際して、「法」に忠実に処理したと思われます。

石井は、「拷問」とは別に、「牢問」が存在していたといいます。

「牢問」には、「笞打」・「石抱」・「海老責」があったといいます。「牢問」は、どこで行われたのでしょうか。普通の「牢屋」の中なのでしょうか。それとも、「牢屋の一角」に建てられた「拷問蔵」の中だったのでしょうか。

幕末・明治初頭を生きた「古老の話を採集」した人に、篠田鉱造という人がいます。その著・『明治百話(上)』(岩波文庫)の中に、「外人の見た明治話」というのがあります。「外人」というのは、幕府に雇われた「教師」のような人です。長崎で若い武士の指導にあたっていたようですが、このような話を伝えています。

「殊にその時分の牢屋はひどいものでした、拷問の恐ろしいのが絶えずあります。長崎に居りました時夜中の十二時頃に目を覚ますと、人の恐ろしい泣き声が耳に入りました。起きて庭の方へ出てみますとそれは隣の牢屋で一人の罪人が拷問にあわされていたのでした。その泣き苦しむ声は実に悲しいものです。私は心が痛みまして寝ようとしても寝られません。私の庭は高く、仮牢屋はその下にあり・・・」。

石井がいう「拷問」ではなく「牢問」のようです。

しかし、「外人」にとっては、「拷問」と「牢問」の区別はできません。彼は、「牢問」を「拷問」として受け止めています。「外国人教師」である彼は、準犯罪者として、犯罪者と同じ、日本の役人に監視される場所に住居を構えさせられていたのでしょう。取調を受けている犯罪の容疑者のうめき苦しむ声を耳にして、堪えられない思いを持つのです。彼が来日したのは1859年のことでした。明治維新の8年前のことです。

長崎だけでなく、幕府の定めた居留地に住む外国人は、多かれ少なかれ、この「拷問」によって泣き叫ぶ日本の民衆の声に心を痛めたのではないでしょうか。それと同時に、何かの事情で、日本の役人にとらえられたとき、取調段階からこの「拷問」に晒される可能性があるという事実は、外国人をして大いに驚愕せしめたのではないかと思います。当然、彼らは、それぞれの本国に要請して、そのような「拷問」から自分たちの身を守る保証をとりつけようとしたのではないかと思います。

「治外法権」(領事裁判権)の維持の訴えは、避けて通ることができないことがらでした。

しかも、その「拷問」が、日本の法に照らして「重罪」とされる犯罪に対して適用されるところから考えると、日本にやってくる多くの「外人」というのは、キリスト教徒であるため、いつ日本の法に抵触しないとも限りません。

『一外交官の見た明治維新(上)』(岩波文庫)の著者・アーネスト・サトウは、1862年、このように語っています。

「いわゆる「治外法権」の制度には十分な経験をもっていた。この法律により、ヨーロッパ人は東洋の非キリスト教国のほとんどどこにあっても、その国の法律の適用を免れるのである」。

欧米の諸外国との間で結ばれた、日本側にとっては、不平等条約である「治外法権」は、欧米の諸外国の国民を、日本の「拷問制度」からその身を守るための、必要かくべからざる条約だったのでしょう。前近代的な「拷問制度」が破棄され、近代的な警察・司法制度が確立されない限り、欧米の諸外国が日本側の「治外法権撤廃」の要求をのむことはなかったことでしょう。

明治新政府は、「拷問制度」は、国家の安定と民衆支配のために廃止することはできないとして、「拷問制度」を存続させたまま、明治5年の最初の条約改正(明治政府が「国恥」とみなす治外法権の撤廃)に取りくみます。そして、挫折し、失敗に帰するのです。

「治外法権」・「国辱」・「拷問制度」・「キリシタン弾圧」・「条約改正」・・・、これらは、明治4年の太政官布告61号の政治的決断の背景を示す重要なキーワードです。しかし、部落解放研究所編『部落解放史 熱と光』(全3巻、解放出版社)の大作において、ほとんど言及されていないのです。原田伴彦著『被差別部落の歴史』や、井上清著『部落の歴史と解放理論』においても、不問に付されているのです。『脱常識の部落問題』においてすら取り上げられることはないのです。

『未完の明治維新』(新版、三省堂)の著者・田中彰(山口県立徳山高校が生んだ偉大な歴史学者)は、その「はじめに」でこのように語ります。「歴史研究者や歴史教育者が歴史の科学性や歴史の真実を叫んだところで、権力側はみずからの権力を保持するためには、遠慮会釈なくそれを踏みにじって容赦するところはない。・・・私はそこで考える。なぜ権力ないし体制側が必死の執念といってよいほどに、科学としての歴史を拒否し、真実の歴史が民衆に浸透するのを恐れるのか、と。権力を握っている体制側は、虚偽の上に虚偽を積み重ね、支配のカラクリの中で民衆を戦争や困窮に追い込んできた。この支配の歴史の虚偽性が暴露されることがもっとも恐ろしいのだ。一見、権力に無力な民衆の歴史が、実は一挙にその体制をくつがえす力を秘めていることを民衆が自覚することがこわいのだ。だから、あらゆる手をつかって歴史の真実を隠そうとしているのである」。真っ赤に燃えるような激しい歴史学者の怒りの言葉は、1968年の時代の言葉です。

田中彰は、「権力を握っている体制側は、虚偽の上に虚偽を積み重ね、支配のカラクリの中で民衆を戦争や困窮に追い込んできた。」といいますが、権力は、民衆を、「戦争」や「困窮」だけでなく、「虚偽(日本歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」)の上に虚偽を積み重ね」「差別」へとも「追い込んできた」のです。

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