2021/10/01

差別の「色眼鏡」をはずして「復権同盟結合規則」を見る

差別の「色眼鏡」をはずして「復権同盟結合規則」を見る・・・

明治14年の「復権同盟結合規則」に関する研究は、それのみで一書を構成することができます。

「復権同盟結合規則」に関する研究は、明治以降の近代歴史学に対する天皇制・近代中央集権国家の「囲い込み」という呪縛の中、戦後の民主主義の社会においても、それから脱することなく、その枠組みの中ですすめられてきました。

その結果、日本の歴史学に内在することになった「賤民史観」は、戦前・戦後を通じて、「復権同盟結合規則」の諸研究に差別的な暗い影を落とすことになりました。

歴史学に携わる多くの学者・研究者・教育者は、明治以降の近代歴史学に対する天皇制・近代中央集権国家の「囲い込み」という呪縛の中に身を置くことに甘んじ、日本の歴史学に内在する「賤民史観」を補強し、体系化してきました。ほとんどの学者・研究者・教育者は、その両方に対して、無自覚・無批判になり、「賤民史観」という差別的思想の枠組みの中で、戦前・戦後を通じて、国民に対する歴史教育を実践してきました。

『差別の視線 近代日本の意識構造』の著者・ひろたまさきは、「差別意識の構造化」にふれて、「格差」が日本の近代化において果たした役割をこのように記しています。

「日本の近代化は西洋近代文明の摂取ではじめられ中央権力の指導でおしすすめられたから、中央と地方、都市と農村の格差がすすみ、それは中央権威主義をもたらし、中央への距離が文明度の度合序列を示すという構造をこの明治前期の短期間につくり上げた・・・」。

ひろたまさきは、この「格差」は、「富」と「学問」によって増幅されるといいます。経済至上主義と学歴偏重主義は、その「度合に応じての優越と劣等のコンプレックスをたえず生み出す・・・」といいます。「富める者」は「貧しき者」に優越感を抱き、「貧しき者」は「富める者」に劣等感を抱き、「学歴のある者」は「学歴なき者」に対して優越感を抱き、「学歴なき者」は「学歴ある者」に対して劣等感を抱く・・・というのです。

ひろたまさきは、「それが人々を活性化するとともに差別意識を支えることにもなる・・・。」といいます。競争社会は、世の中を「活性化」するという陽の面と、競争社会から疎外・排除されていくものを生み出し「差別社会」を作り出すという陰の面とがあるというのです。

明治維新ならぬ「平成維新」の流れの中で、今日、再び「格差」社会がつくられようとしています。「平成維新」も、明治維新と同等の本質を内在していて、国と社会を活性化するという名目で競争社会の促進が唱えられるなか、その競争から疎外・排除・切り捨てられていく人々は、競争社会の敗残者として塗炭の苦しみを舐めさせられることになります。

ひろたまさきは、「西洋や東京へのコンプレックス・・・、まさにそのコンプレックスこそ自己よりも文明的に劣位な存在をつねに視野の中におき、さらには文明(ひろたは「富」と「学問」の意味で使用)に決定的に見放されたと観念された存在たる被差別者を措定することによって心理的バランスを回復しようとさせるのであり、差別的意識を支える近代的支柱である。」といいます。

国家の施策の中で採用される「格差」は、「差別的意識を支える・・・支柱」でもあるのです。現在、政府与党によって成立が画策されている「教育基本法改正」は、明治維新以降の「格差」社会の再現を指向するもので、今後の日本を100年、200年に渡って、「格差」社会の存続、結果としての差別社会の存続を容認するものになるのです。

ひろたまさきの歴史学者としての良心的な発言に対しては異論をはさむつもりは毛頭ないのですが、しかし、無学歴・無資格の『部落学序説』の筆者である私の視点・視角・視座からみますと、ひろたまさきの説は、「部落差別」の「コンプレックス起源論」として響いてきます。

近世幕藩体制下の身分制度が、身分の上・下(貴・賤)に基づくものであり、それは相対概念として機能し、「上」に対しては自らを「賤」と位置づけ、「下」に対しては自らを「貴」として位置づけるのに比して、近代天皇制国家の身分制度においては、「文明(富・学問)」の程度によって、自分よりも富と学歴のあるものにたいしては「劣等感」をいだき、自分よりも富と学歴のないものにたいしては「優越感」を抱く・・・という点では、近世幕藩体制下の「差別意識の構造」と近代天皇制下の「差別意識の構造」とは酷似したものがあります。

近代差別社会の根幹には、「学歴差別」があるといっても過言ではありません。

日本の知的システムは、「優越感」と「劣等感」に染め抜かれ、それは、ひろたまさきによると、近代天皇制国家においては、「劣等感」にもとづく「崇拝」と、「優越感」にもとづく「蔑視」に帰結するといいます。日本の知的システムは、「崇拝」の頂点を「天皇」に見出し、「蔑視」の最底辺に「被差別部落民」を見出すというのです。ひろたまさきが、近代身分制度を「天皇・皇族・華族・士族・平民そして「新平民」「アイヌ」「沖縄人」」という序列で認識するのもそのあらわれです。「崇拝」の頂点を「天皇」に見出し、「蔑視」の最底辺に「新平民」「アイヌ」「沖縄人」を見出すのです。

ひろたまさきが、近代部落差別の根源にたどりつく可能性が秘めながら、結局、一般的・通俗的な「士農工商穢多非人」の焼き直しでしかない「天皇・皇族・華族・士族・平民・新平民/アイヌ/沖縄人」として認識せざるを得ないのは、ひろたまさきが、明治以降の近代歴史学に対する天皇制・近代中央集権国家の「囲い込み」という呪縛の中に身を置いていることのしるしであり、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」に無自覚でいるか、是認していることのあらわれです。

筆者の手元にある、明治14年の「復権同盟結合規則」に関する研究の中で、ひろたまさきの論述(『差別の諸相』・『差別の視線』)は数少ない貴重な論文ですが、『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からすると、いくつかの論理的矛盾と破綻を内蔵しているように思われます。

ひろたまさきという「フィルター」を通してではなく、「復権同盟結合規則」を直接読んで、テキストレベルで批判していく必要があります。

明治13年の集会条例などにみられる明治政府の思想・信条などの言論に対する過酷な弾圧・迫害下の中で、九州北部の「3県」・「11部落」・「23名」の「旧穢多」が「復権同盟」を結成するにあたって、その真情をありのまま吐露したとは考えられません。明治国家の言論弾圧をかいくぐるために、ことばを慎重に選んで表現していったと推測されます。

少なくとも、歴史の真実に目を向けることを職分とする学者・研究者・教育者は、「復権同盟結合規則」の表面的・形式的なことばとその用法の背後に、ことばにならなかった「3県」・「11部落」・「23名」の「旧穢多」の真情が含まれていることについて思いを馳せる必要があるのではないでしょうか・・・。

「旧穢多ナル我曹モ亦、我皇国ノ人民ナリ。」ということばではじまる「復権同盟結合規則」の緒言はその必要性を暗示してやみません。「復権同盟結合規則」の文書もまた、「3県」・「11部落」・「23名」の「旧穢多」と同様、日本の差別思想である「賤民史観」から解放されて、歴史の事実・真実に根ざした解釈をもとめているといっても過言ではないでしょう。

次回、「復権同盟結合規則」を、『部落学序説』の視点・視角・視座から釈義(字義的解釈)をしてみましょう。

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