2021/10/03

「美作血税一揆」研究の課題

 「美作血税一揆」研究の課題

岩波・日本近代思想大系『差別の諸相』に集録されています「明治6年夏美作全国騒擾概誌」を再読しました。

美作の「旧百姓」たちは、一揆の前提として、最初から明治政府に対する不信感を抱いているようです。明治政府によってつくり出される時代を「生キテカイナキ時節」と呼んでいます。明治政府に対する「旧百姓」たちの様々な訴えはことごとく無視されていたのでしょう。美作の「旧百姓」たちは、「譬出訴ニ及ブトモ御取掲ニナルマジク・・・」と思いこんでいるのです。

追い詰められた「旧百姓」は、明治政府と「同腹」なる「村ノ役人」に対して、「一同竹槍或ハ鉄砲其外有合ノ得物ヲ携・・・立向フ」ことを決意し、明治6年5月26日に蜂起するのです。

「旧百姓」は、蜂起の理由として、「御布告不服」として、3つの「布告」をとりあげます。

第一、徴兵ニ御差向、人血此ヲ取トノ事(明治5年11月28日太政官布告)。
第二、往古ヨリ仕習ノ頭、断髪ノ一件(明治4年8月9日太政官布告)。
第三、学校費(明治5年8月3日太政官布告)。

「明治6年夏美作全国騒擾概誌」によると、「旧百姓」が特に問題に感じた明治政府の出した太政官布告は、徴兵令・断髪令・学制令の3つです。その中には、「穢多非人等ノ称廃」に関する明治4年8月28日の太政官布告は含まれていません。

「明治6年夏美作全国騒擾概誌」を読む限り、「美作国血税一揆」は、明治政府に対する反対一揆であって、副次的な意味合いしかない、「穢多非人等ノ称廃」に対してなされた「解放令反対一揆」ではないのです。

美作の「旧百姓」は、徴兵令・断髪令・学制令の3つの太政官布告と、「穢多非人等ノ称廃」の布告を明確に区別していました。それらの4つの太政官布告の「内包」(属性)を検証すればすぐ分かります。美作の「旧百姓」は、明治政府の政策が、「何モ角モ唐人フウニナル」(西洋化)ことを押し進めることへの反発だったのです。徴兵令・断髪令・学制令の3つの太政官布告は、まさに、明治政府の「西洋化」・「近代化」の象徴的な布告でした。しかし、「穢多非人等ノ称廃」は、「西洋化」・「近代化」とは異なる側面を持っていましたから、「美作国血税一揆」研究に際しては、徴兵令・断髪令・学制令の3つの太政官布告と「穢多非人等ノ称廃」は別様に取り扱う必要があります。

美作の「旧百姓」は、「兼テ村々条約連印」をたてにとって、「旧百姓」に対して「村八分」を発動します。一揆に参加しない村の住人に対して、「壱人トシテ出ザル者コレ有ルニオイテハ、ソノ家破却ハ言フニ及バズ、一村残ズ焼害ス、覚悟コレ有ルベシ」と、一揆参加を強制するのです。

一揆の攻撃対象は、明治政府と「同腹」、つまり、明治政府の権力の末端機関に成り果てた「村ノ役人」が対象になります。美作国血税一揆の対象となった人々を列挙すれば次のようになります。

 戸長
 副戸長
 出仕
 捕亡吏
 盗賊目付
 平民(新平民)

『部落学序説』において、「非常民」「非常・民」「非常の民」として把握される人々です。近世幕藩体制下の司法・警察として従事していた人々を指す概念ですが、「戸長・副戸長」は、「百姓支配」の「非常・民」で「出仕・捕亡吏・盗賊目付・平民(新平民)」は、「武士支配」の「非常・民」を指します。「常民」「常の民」「常・民」である「旧百姓」は、明治政府の仮想権力である、「非常民」「非常・民」「非常の民」である「出仕・捕亡吏・盗賊目付・平民(新平民)」を一揆の攻撃対象にしたのだと思います。

「旧百姓」の仮想「明治政府」に対する攻撃は、「管内残ル方ナク彼所ニ放火・・・焼火ノ光リニテ白昼ノ如シ」状態を引き起し、多数の死者・負傷者を出してしまいます。

「美作国血税一揆」に際して、「旧百姓」が一揆の攻撃対象として、「穢多」・「穢多村」を襲撃する例は、決して珍しいものではありません。近世幕藩体制下の百姓一揆、否、時代を超えてすべての時代に共通してみられる現象なのです。

美作の「旧百姓」は、明治政府の仮想権力としての「出仕・捕亡吏・盗賊目付・平民(新平民)」を襲撃したのであって、「旧百姓」より、低位に置かれた「被差別民」を襲撃して、逆らうことのできない明治政府に対する鬱憤を「旧穢多」に対して行い、自らを慰めた・・・というようなものではありません。そのような見方は、明治以降の「士族」出身の知識階級・中産階級が捏造した「賤民史観」に依拠するもので、歴史の史料・伝承、史実に著しく反した解釈です。

近世幕藩体制下の「旧百姓」が起こした一揆がどのようなものであったのか、それを物語る史料は豊富に存在します。「美作国血税一揆」の本質を把握するために、比較対象として、寛延2年(1749年)の「南奥州百姓一揆」の際の「守山藩」の一揆を見てみましょう。

「守山藩」の「南奥州百姓一揆」は、阿部善雄著『目明し金十郎の生涯』に記されています。

「守山領北部の村々が騒動の炎に燃えはじめた。・・・陣屋の門前まで押し寄せると共に・・・打ちこわしの行動に出た。「目明し新兵衛は、日頃から百姓たちに憎悪の目でみられていたから、真っ向からその怒濤をかぶった」。新兵衛は、他の「非常・民」と共に打ち壊しの対象にされます。新兵衛は、一揆の百姓にあらがう術なく、年老いた母を連れて山の中に逃げ込むのです。その間に、新兵衛の家は、「脇差し二腰と帯や小袋を奪われ、また米・麦・大豆など俵物32俵が打ち崩された。取次役の場合は母屋に限らず、土蔵の中まで徹底的に破壊され尽くした・・・」のです。

一揆の発生原因は、過去2年の凶作に勝る3年目の凶作が予想される中での百姓の窮乏が原因でした。不況の中、「武士支配」の「非常・民」の末端であるとはいえ、司法・警察という「役務」(公務)に従事していた「穢多」の「目明し」新兵衛の蔵には、「米・麦・大豆など俵物32俵」が蓄えられていたという事実は、一揆の百姓をさらに激化させたことがうかがえます。

新兵衛は、一揆の百姓から、「なぜ恨みを買ったか」、取り調べを受けることになりますが、守山藩は、「彼をそのままにしておいて頭取探索に用いよ」と命令を出します。つまり、守山藩は、一揆の被害にあって、財産を失った被害者である新兵衛に、一揆の首謀者探索に加わるよう命令をだすのです。新兵衛の口から、「確聞ではないが・・・」と断り、「甚作・七郎上衛門・佐源太・半七・・・」等の名前が上告されるのです。一揆の実行犯逮捕のために、新兵衛は手勢を連れて参加します。

捕らえられた百姓は、獄門・切り捨て・追放の刑が処せられます。その妻たちも「揚者」として牢獄に収監されます。

ここで注目すべきは、守山藩は、藩の中枢にその責任が及ぶことがないよう、一揆の原因を、「目明し」の新兵衛の強引な職務遂行と「百姓」の「無礼・欲心」のなせる業として断罪していきます。「権力」の保身に努める守山藩は、新兵衛を「譴責処分」という極めて軽い処分にとどめます。

寛延2年(1749年)「南奥州百姓一揆」の際、「目明し(穢多)」新兵衛の身の上に起こったできごとは、明治6年の「美作国血税一揆」に際しても起こった・・・、と『部落学序説』の筆者は推測します。

美作の「旧百姓」は、「同腹」と称して、「村の役人」(「出仕・捕亡吏・盗賊目付・平民(新平民)」)を襲撃することになりますが、一揆の嵐がおさまったあと、彼らによって、探索・捕亡・糾弾・お仕置きを受けることになったと推測されます。「旧津山藩士」だけでなく、司法・警察に直接従事していた「旧中間足軽」、「旧穢多非人」も、そのために動員されたと推測されます。

「重罪36名獄屋に残し、笞杖の者数万人・・・」というありさまですから、「旧穢多非人」の動員は避けて通ることはできなかったと思われます。

そのとき、美作の「旧穢多」は、多数の「旧穢多」を殺傷した「犯罪者」である「旧百姓」に対して、どのようなふるまいにでたのでしょうか・・・。「元穢多は日頃無礼・・・」の言葉をみても、「常・民」である「旧百姓」と、「非常・民」である「旧穢多」の関係は良好ではなかったと推測されます。「恨み」の応酬がなされたと考えられます。「旧穢多」「28名を殺害」した「旧百姓」に15名の「旧百姓」が、「新律綱領」の「人命律」に従って「斬首」されます。「笞杖」の刑に処せられた「旧百姓」は、「旧穢多」の打ち下ろす「笞」と「杖」に「恨み」を募らせたのでないかと思います(長州藩の枝藩である徳山藩の一揆についても確認できます)。

その「恩讐」は、今日にいたるも、「旧百姓」・「旧穢多」の末裔に上に重くのしかかっているのではないでしょうか・・・。そのことが、「美作国血税一揆」の史料・伝承の発掘を困難にしているのではないかと思わされます。

「穢多従前通り」を掲げた美作の「旧百姓」は、その禍を身に招くことを十分認識していながら、「生キテカイナキ時節」を自ら打開するために、明治政府と「同腹」である仮想権力に対して「反権力闘争」、「王政復古」を踏みにじり、急激な近代化を進める明治政府に「反権力闘争」を展開していったのではないでしょうか。

「美作国血税一揆」を、「解放令反対一揆」として、明治政府の与り知らぬ、「差別・被差別」間の私闘と解釈するのは、著しい歴史の事実からの逸脱であり、曲解であると考えられます。

「新古平民騒動」も「美作国血税一揆」も、まだ、その歴史的事実・本質が把握されきっていないのです。権力の手によって残された史料だけでなく、歴史学の枠だけでなく、社会学・地理学・民俗学・宗教学・農学・法学・行政学・・・、本格的な学際的研究がなされないと、その歴史的事実・本質を明るみにだすことはできないのです。

無学歴・無資格の筆者は、自分の能力の限界をよく知っています。「新古平民騒動」・「美作国血税一揆」の本質を解明することができないまでも、どこに問題点と課題があるか、指摘して、「新古平民騒動」・「美作国血税一揆」に関する論述を終えます。 

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