2021/10/01

2カ月間の休息を経て執筆再開・・・

2カ月間の休息を経て執筆再開・・・

『部落学序説』の執筆・・・、いろいろなことが重なって、丸2ヶ月文章を追加することはありませんでした。

毎日、『部落学序説』を読みに来てくださった方々には本当に申し訳けないと思っています。紙面上ではありますが、こころからお詫び申し上げます。

『部落学序説』とその関連ブログ群、読者の方々の関心は、『部落学序説』の第6章・同対審答申批判にあることは、ココログの解析データから察しがついていました。

『部落学序説』は、部落差別問題の完全解消への新たな提言ですから、今日の部落解放運動が直面している問題の解析と批判を避けて通ることができません。しかし、筆者にとって、その解析と批判は、戦後の同和対策審議会答申とその事業に対する表面的な批判に終始することはできません。

『部落学序説』ですでに明らかにしてきた通り、①近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多・非人」の学際的な解明、②明治以降の近代中央集権国家における「旧穢多」の受容と排除の歴史的解明、③明治後期の近代部落差別の創設に関する歴史的経緯と権力に握り潰された「旧穢多」の抵抗・・・、それらを踏まえての「同対審答申批判」になります。

筆者の属する教団内外から、『部落学序説』の筆者に向けられた批判の多くは、『部落学序説』の教説は、既存の部落解放運動・解放教育・同和対策事業・・・等を否定する内容を含み、被差別部落の人々に不利益をもたらす・・・というものです。「差別されてきた・・・」ということで、それに対する生き甲斐を見いだしてきた被差別部落の人々の中には、『部落学序説』の「近世幕藩体制下の穢多・非人は、今日的な意味での差別された人々ではなかった」という説を前に戸惑い衝撃を受ける人がいる・・・というのです。

筆者は、以前にも書いたことがありますが、その発想は、ホスピタリズムに似ていると思われます。

多くの人々にとっては、病気は、できる限り避けて通りたいことがらです。しかし、患者の中には、自分のかかった病気に生き甲斐を見いだすひとがいます。病気の状態にあることで、周囲の関心を引きつけ、お見舞いの対象になり、病気でないときより病気のときの方に生き甲斐を見いだしてしまう現象のことです。

戦後、長期間に渡って、同和対策事業・同和教育事業の恩恵にあずかってきた被差別部落内外の人々は、いつのまにか同じ現象に陥ってしまったのではないかと思われます。被差別部落出身ということで、自らの置かれた情況に生き甲斐を見いだすという・・・。

しかし、筆者は、それは、間違いであると思います。

被差別部落の人々が担ってきた歴史の真実は、避けて通るのではなく、尋ねて解明すべきものであると思っています。

筆者は、部落差別が深刻な差別である理由として、被差別部落の人々から、その本当に歴史が奪われ、権力によって、歴史の事実に反する、被差別部落の人々を貶める「賤民史観」が強制されたことがあげられる思っています。その人から、その人の本当の歴史を奪いさる・・・、それほど、恐ろしい差別はありあません。

被差別部落の人々が、その本当の歴史を奪われ、権力によって押しつけられた「賤民史観」を受け入れ、それにのっかって、「部落差別は、いわれなき差別・・・」として認識し、それを明らかにしないまま、経済的・社会的・政治的情況のもと、同和対策事業・同和教育事業の、いわゆる「利権」獲得に終始してきたことは大きな間違いであったと思います。

なくさなければならなかったのは、「格差」ではなく、「差別」そのものであったのではないでしょうか・・・?被差別部落の人々と一般の人々との間の「格差」が取り除かれても、それが、即、「差別」が取り除かれることには直結しませんでした。「格差」と「差別」は似てはいますが、全く性質の異なるものです。

筆者は、数人の方々から、「俺もやめる、お前もやめろ!」と、『部落学序説』の執筆を中断することを求められました。教団の内外から・・・。しかし、はっきりいいますと、そう筆者に提言してくる方々と筆者との間には、『部落学序説』の執筆者と読者・・・という単なる匿名の関係しかありません。筆者は、『部落学序説』の内容に対して批判検証して異議を唱えてくるのではなく、ひたすら執筆の中断を求めてくる方々と対話する土俵をもっていません。

筆者は、病気の原因を調べる病理学者のように、部落差別の根源を明らかにし、部落差別なき社会は、作ろうと思えばつくることができること、この世の中から部落差別を完全に解消しようと思えば解消することができること、その認識と方策を明らかにしていきたいと思います。

「被差別部落出身者でないものに、何が分かるか・・・」との批判もありますが、筆者の視点・視角・視座からしますと、「被差別部落出身者なのに、部落差別の本質が何なのか、何も分かっていない・・・」との感を持つ場合も少なくありません。

筆者は、「部落民でないものに何が分かるか!」と指摘されたとき、「あなたに部落民だと言われて、そうでうすかというわけにはいかない。あなたが部落民だというなら、私に、私が納得できるその根拠をしめすべきである・・・」と食い下がります。

本当の被差別部落出身者は、その人とその人の先祖の歴史を語ることができます。筆者の質問を前に、その問いに答えられず、自己崩壊していくようでは、その人は、本当に被差別部落出身であるのかどうか、近世幕藩体制下の穢多・非人であるのかどうか、疑わしくなります。「疑わしきは数に入れず」・・・、それが筆者の方針です。

筆者に対するもうひとつの批判は、『部落学序説』の内容はきれいごとに過ぎない・・・という批判です。

そうでしょうか・・・。

近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「穢多」役・「非人」役の人々が、現在でいう警察官の役割を担っていたことは、日本全国各地で発掘されつつある関連史料に登場してきます。ただ、従来の、「賤民史観」に身をゆだねている学者・研究者・教育者が、部落解放運動の流れの中で、黙殺してきたために、歴史的に評価されていないだけです。紀州藩『城下町警察日記』を読むと、「穢多」役・「非人」役が、ひんぱんに宗門改めに従事し、キリシタン弾圧を主眼とした宗教警察の職務を遂行していたことが分かります。

「処刑は、人の嫌がる仕事・・・」という批判もありますが、それもすでに説いていますので再読していただければいいのですが、刑法上の強盗殺人の「殺」と、その犯罪者を処刑する警務官の「殺」とはまったく異なる意味を持ちます。「どちらにしろ、ひとを殺すのは嫌な仕事・・・」、それは、そうでしょう。しかし、治安維持を守るためには、時として、合法的な「殺」(死刑)が必要な場合もあるのではないでしょうか・・・。

『部落学序説』で、「穢多」役・「非人」役が、人の嫌がる「処刑」に関与したことについて具体的に触れないのは、決して、きれいごとに終始するためではありません。徳山藩の場合を例にとっても、「処刑」は公務であり、その手順はすべて決められています。少しの逸脱も許されません。その具体的な処刑方法が史料の中に記載されていることも珍しくないのですが、筆者が直接言及を避けるのは、その処刑方法が、受刑者をいたずらに苦しめることなく一瞬に殺害する手順が記されているからです。

最近、刃物で刺したり、拳銃で売ったりする血なまぐさい事件が多いのですが、それは、「ネス」(しろうと)の業です。近世幕藩体制下の「エタ」(プロフェッショナルの司法・警察官)のすることではありません。ただ、その時の詳細な処刑方法・・・、『部落学序説』の筆者としては、公開することは公序良俗に反するので触れないでいます。「人の嫌がる仕事」をことさら隠蔽している訳ではありません。

日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」に基づく予見と偏見に基づいて、被差別部落の人々を殊更貶めるのは、見直す時期にさしかかっているのではないでしょうか・・・。

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