2021/10/01

朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界  1

朝治武著『水平社の原像』にみる部落史個別研究の限界(その1)

第5章・第2節として、<「特殊部落」・「差別」概念の定義法について>論述してきましたが、その主題の下で執筆したすべての文章を、「部落学序説(別稿)」に移しました。

筆者が、『部落学序説』の執筆に際して採用している「定義」法について言及することは、無学歴・無資格の筆者の現実、てのうちを曝すことに通じるので、あまり気乗りするテーマではなかったのですが、考えてみますと、『部落学序説』執筆の初期の段階から、無学歴・無資格であることと、執筆に使用する文献について、すべて公開していましたので、「定義」法についての文章も、その範囲・・・、と思って、筆者が依拠している、近藤洋逸著『論理学概論』の「定義」法を紹介しました。しかも、伝統的論理学にそって・・・。

第5章・第1節で、<史料としての「水平社宣言」>をとりあげましたので、第2節として、あらためて、<「水平社宣言」の背景>について言及することにしました。

『部落学序説』で繰り返し、繰り返し、言及してきたことですが、筆者は、①無学歴・無資格、②部落解放運動の<被差別者でなければ差別者である>という二分法による<差別者>、③常民(軍事・警察に関与していない国民)の立場から、『部落学序説』の論述を展開してきました。

筆者が公開している、文献一覧表に目を通されるとすぐにお分かりになると思われますが、ほとんどの資料・論文は、簡単に手に入るものがほとんどです。

「水平社宣言」について論述するとき、その文献一覧表に列挙している資料・論文から、筆者がどのような見解を陳述することになるのか、聡明な読者の方々は、すでにお気づきになっていることと思われます。「水平社宣言」に関する、その資料・論文は、数限りがあります。

筆者の手元にある「水平社宣言」に関する論文の中で、比較的まとまっているものは、朝治武著『水平社の原像』(解放出版社)です。

「水平社宣言」について学習したり、研究したり、論文を書いたりされる人は、この朝治武著『水平社の原像』は、とても貴重な本です。「論文集」としてだけでなく、「資料集」としても有意義な本です。

「全国水平社」の「宣言」・「綱領」・「決議」・「規約」を、「水平運動」の「理念」・「目標」・「課題」・「組織」として体系的に論述し、普通、部落問題の入門書を読む一般の読者が目にすることがない、「水平社」に関する多くの資料がそのまま紹介されています。その他に全国の「水平歌」・「荊冠旗」も紹介されています。

朝治武著『水平社の原像』は、「水平社」に関連した文献の資料集・解説書として、再構成して読み進めていきますと、その著者の思惑を超えた価値が内蔵されているのに気づかれることと思われます。

巻末の著者紹介をみますと、「朝治武(あさじ たけし) 1955年、兵庫県に生まれる。現在、大阪人権博物館学芸課長。」と紹介されています。

通常、書籍の巻末の著者紹介には、著者の学歴や資格が列挙されるのが普通ですが、朝治武氏の場合、それらはほとんど省略されて、出生地と現職のみが記されています。

朝治武氏は、「あとがき」で、『水平社の原像』の執筆と出版に至った経緯を記していますので、重複を避けるためあえて著者紹介に載せなかった・・・、とも考えられますが、筆者の受けた印象では、どうもそれだけではなさそうです。部落解放運動を担ってきたものとして、学歴・資格に一定の見解をお持ちのようです。

朝治武氏は、「あとがき」で、「歴史好き」の彼が、「大学時代」、「日本史の学科」に属し、「卒論の対象」に「水平運動史」を選択した・・・との記述がありますから、朝治武氏は、その生涯をかけて、「水平運動史」に取り組んでこられた・・・、ということになります。

酒井和夫氏が推奨される「生涯探求」の典型的な実例・・・、ということになります。

朝治武氏は、彼の「本務」は、「大阪人権博物館の仕事」であるといいます。それでは、「水平運動史研究」は・・・、といいますと、意外にも、「私にとっては楽しい趣味のひとつにすぎない。」といいきります。

「部落史研究が純然たる仕事になると苦痛に感じてしまうので・・・寝食を忘れて没頭できる休日の楽しい趣味にしておきたい・・・」。

しかし、朝治武氏は、そう言い切った自分の言葉を追いかけるように、「ただし私の水平運動史研究をはじめとした部落史研究は楽しいという趣味にとどまらす、自己の主体形成において重要な位置を占めている意味のある行為であもある。」といいます。

その文章は、『部落学序説』の筆者にとっては驚くべき、こんな文章につながっていきます。

「私は、部落に生れ育ったというだけでは歴史的存在としての部落民ではない、部落民は生まれつき部落民なのではなく、歴史的過程をへて部落民として主体を形成していくのである、と考えている。この考え方からすると、部落に生れ育った者が誰しも、また必ずしも部落民なのではない。私は、そもそも歴史的存在としての部落民という概念は広い意味で部落差別を克服して部落解放を実現しようとする意識に基づいて自らを肯定的に自覚し、それを言語化したり、何らかの形で外部に表現することによってこそ成立する・・・」。

朝治武氏にとって、「大学時代」からの「水平社運動史研究」は、「部落差別を克服して部落解放を実現しようとする意識に基づいて自らを肯定的に自覚し、それを言語化・・・」する、「部落民として主体を形成する」ことが結果する<部落民宣言>の準備としてなされ、その著『水平社の原像』の発刊は、彼の<部落民宣言>の実行だったのかもしれません。

この<部落民宣言>・・・、朝治武氏につぎのような結果をもたらしたようです。

「なお最後に、どうしても記しておきたいことがある。今年の二月、厳しくもあったが末っ子の私に優しかった父が亡くなった。しばらく距離があった郷里の篠山に幾度か帰ることになり、そこで母や姉・兄夫婦、親戚との普段はない語らいの場で珍しく部落問題に話が及んだ。私が部落史に関して本を出版する話をしたが、一同が喜んでくれたことがたいへん嬉しかった。ひょっとして、これが本書の出版に躊躇していた私に踏ん切りをつけさせてくれた大きな要因ではないかとも考えている・・・」。

朝治武氏は、「部落に生れ育った者が誰しも、また必ずしも部落民なのではない。私は、そもそも歴史的存在としての部落民という概念は広い意味で部落差別を克服して部落解放を実現しようとする意識に基づいて自らを肯定的に自覚し、それを言語化したり、何らかの形で外部に表現することによってこそ成立する・・・」といわれますが、「自らを肯定的に自覚し、それを言語化」する朝治武氏の部落民宣言を支えていたものは、「部落に生れ育った・・・歴史的存在としての部落民」である、彼の「父」、「母や姉・兄夫婦、親戚」ではなかったのでしょうか・・・。

しかし、朝治武氏が、<部落民宣言>として執筆した『水平社の原像』は、「随筆」(広辞苑:見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章)ではありません。「水平運動史研究の序論」として執筆されたものです。

朝治武著『水平社の原像』が、「論文」である以上、筆者は、朝治武氏の人と思想に対する文芸批評的世界に入っていくことより、「論文」として、それに相応しい批判検証をしていくことが、より強く『水平社の原像』を評価していく道であると思っています。

『部落学序説』の筆者としては、<部落民宣言>としての『水平社の原像』ではなく、「水平運動史研究の序論」としての『水平社の原像』に対して、この節においても、批判・検証を展開していきたいと思います。

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