2021/10/01

「ごんごちの里」の闘い

「ごんごちの里」の闘い

1988年7月11日と18日発行、『解放新聞』(1379号・1380号)に、「ごんごちの里」で実施されたある同和対策事業に関する特集が掲載されました。

その記事はこのようなことばではじまります。

「同和」向け住宅に建設にともなう、条例改訂の入居規定に、部落民を「特殊な条件下にあるもの」とする差別条例が、山口・新南陽市議会で制定された。事実を知った新南陽支部では、差別条例の改正をもとめるとともに、これまで県、市がおこなってきた、「同和」行政がいかに、いいかげんな中身かを追究する闘いを展開している。今号と次号にわけて、闘いの経過、現状を掲載する」。

そして、最後のことばは、部落解放同盟新南陽支部の書記長・福岡秀章氏の「事業未実地部落の神林村、桐生市の闘いと連動したい」という抱負を紹介して終わっています。その後、西日本の山口県新南陽支部が、東日本の新潟県神林村や群馬県桐生市の未指定地区のひとびとと、どのように「闘い」「連動」させたのかについては、筆者は、非常に関心を持っているのですが、残念ながら何も知りません。「同和問題は解決した・・・」という世の中の声に、被差別部落の側から、「同和問題はまだ解決していない。同和対策事業の継続が必要である。」という訴えが、西日本の被差別部落と東日本の被差別部落を結びつけているように思われます。

新南陽市の「市営住宅差別条例事件」が、『解放新聞』にとりあげられて、全国的に紹介されたのは、1988年5月20日に、「被差別部落」内の隣保館で行われた「第1回糾弾交渉」に端を発します。

その糾弾会は、「市行政から市長、教育長ら15人が出席。解放同盟からは、地元新南陽支部員、中央本部の小森龍邦書記長、中島中執、松浦県連委員長をはじめ、県内各支部、宗教者、教育関係者、マスコミ関係者ら100人が参加した」といわれます。

その当時、筆者は、日本基督教団西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員をしていました。筆者は、新南陽支部の福岡書記長から、その糾弾会に「陪席していい」と許可をもらったので、山口県の諸教会の牧師に、「糾弾会参加」をよびかけました。4~5名に人が牧師が参加してくれました。糾弾会当日は、「市行政」側に座ってもいいし、「部落解放同盟」側に座ってもいい、どちらにすわってもいい・・・いうことなので、筆者は、他の牧師たちにそのように伝えました。筆者を含めて、『解放新聞』が伝えている「宗教者」は、全員、「市行政」側ではなく、「部落解放同盟」側の席に座りました。

「部落解放同盟」側に座ったといっても、「陪席」であることに変わりはないわけですから、「市行政」側と「部落解放同盟」側のやりとりを、「第三者的」に黙って聞いていました。ときどき、会場で手渡された『市営住宅差別条例事件・糾弾要綱(案)』をひもときながら、両者のやりとりに耳を傾けていましたが、「聞くと見るでは大違い」・・・、というわけではありませんが、最初から最後まで、ていねいなことばのやりとりに終始しました。

日本共産党系の運動団体が、糾弾といえば、「水をかけたり暴力をふるい、あげくの果てに・・・土下座させて謝罪させるなど、常軌を逸した」「怒号と暴力」の飛び交う「糾弾会」のイメージをふりまく山口県内で、その片鱗すら感じさせない糾弾会でした。そして、筆者は「あること」に釘付けになってしまいました。

糾弾会は、その後も続けられましたが、当時の新南陽支部の支部長さんは、「差別者は1回は糾弾会に参加するが、2回目以降は参加することない。差別者は、はじめて参加した糾弾会で、糾弾会について、あらかじめ抱いていたイメージを確認することにとどまり、そこから1歩踏み出すことは容易なことではないから・・・」と話しておられましたが、4~5名の牧師は、2度と筆者のさそいにのることはありませんでした。筆者のさそいで、その糾弾会に参加した4~5名の牧師は、そのあと、筆者を「疎外・排除」するようになりましたので、同じ「糾弾会」に、同じ「陪席」で出ていても、その受け止めかたは多種多様であったように思われます。

しかし、筆者と他の牧師との違いというのは、そんなに違いがあるわけではありません。筆者の場合も、もしかしたら、他の牧師と同じように、1回だけ糾弾会に出て、あとは2度とでない可能性も多分にあったわけです。それが、筆者は、2回目以降もかかわり、他の牧師は、2度とかかわることはなかった分岐点は、「あること」に注目したかしなかったかにあると思っています。

もう19年も前の話ですから、「あること」を正確に思い出すことは、非常に難しいと思われますが、記憶と資料を手がかりに考え直してみたいと思います。

部落解放同盟新南陽支部が発行した冊子に『解放学級参加者のための資料(第1集)』というのがありますが、この冊子は、被差別部落出身者ではなく一般のひとが、被差別部落の中で行われる「解放学級」に参加するための資料として作成されたものです。

以前にも紹介したことがありますが、その冒頭の文章は、部落解放同盟新南陽支部員・福岡五月さんの『部落に生きて』という文章です。新南陽市の社会同和教育の集会において講演の原稿を収録したものですが、福岡五月さんはこのように語っています。

「新南陽市には、いくつかの被差別部落があります。ひとつは、22年前、新南陽市の前身である南陽町が作った「北部落」。ひとつは、私が住んでいる、1600年代からある「南部落」。また、あるひとつは、「南部落」から一部を移転させて、作った「東部落」です。そして最後のひとつは、江戸時代からある部落ですけれども、今現在は公共事業によって消されてしまった「西部落」です。現在、地区指定を受けているのは、その消された「西部落」を除く3地区です。

その中で、最初に言った「北部落」は、まったくの一般地区で、歴史的にみても被差別部落ではありません。たかだか、道路1本直したいために市行政が作った部落です。そこに住む人々は、自分達が新南陽市の被差別部落に住んでいるとは夢にも思っていません。

(中略)

全国的に実施された同和対策事業は、部落差別をなくすために、その原点である部落の生活実態を改善することを目的としており、それは緊急かつ焦眉のこととして行政がやらねばならない事業です。ですから、国も同和対策事業と言えば、補助金を一般事業に2倍も出すのです。借金も簡単にできるように配慮しています。

市で行われた事業の中には、この補助金に誘惑されて、本来の目的を忘れてしまった事業がたくさんあります。

地区指定ひとつをとっても、補助金がほしいために新たな部落(「北部落」)をひとつつくりましたし、私の住んでいる「南部落」ももともとの地区面積より、ひとまわり大きい地区指定がされています。ですから、指定された地区の中には、隣の一般地区の自治会長も住んでいるのです。

地区指定をあまくみてはいけません。『地名総鑑』という本をみなさんは知っているでしょうか。日本全国の被差別部落名が網羅されていて、興信所や企業がそれを購入して問題となった本です。新南陽市にもこの本を購入した企業がありました。この本はどうも、行政機関から流された資料をもとに作られたようなんです。ということはですね、もともとは部落ではない、新南陽市がかってに指定した部落名も載っている可能性があるんですね。この本はかなり回収されましたけれども、まだまだコピーがでまわっております。根絶やしにできておりません。

差別されても誇りある部落民であるという自覚を持てば、それに負けることはないと思うんです。でも、住民は部落ではない、まして部落として差別されてきた歴史を持たない地域が、ある日、突然、その人たちの知らないところで、部落にされてしまっているんです。

そのような無茶なことを平気でする新南陽市とはいったいどういう町なのでしょうか・・・」。

そして、福岡五月さんはこのように訴えます。

「部落差別というのは、私たち市民が、すべて引き裂かれているという現実です。自らが差別によって引き裂かれていることに、怒り、悲しみ、真心を込めて、差別は解決したいとは思わないでしょうか。差別が起こる・・・、差別をなくそうとしてもそれが起こってしまうのは、仕方がないのも事実です。しかし、差別が起こってしまったとき、行政も市民も、その事件を解決する能力がないという、それがくやしいんです」。

これだけ長い引用をすると、「著作権」侵害につながりますが、筆者は、この『部落学序説』執筆に際して、部落解放同盟新南陽支部の方から、包括的に、引用することの承諾を得ています(ただ、新南陽市の4箇所の被差別部落については、実名記載をさけ、「東部落」・「西部落」・「南部落」・「北部落」と相対座標で表示しています。もう一度、実名記載を要求された場合は、この文章についてのみ実名記載に踏み切ります)。

1988年5月20日の「第1回糾弾交渉」の際、新南陽支部書記長の福岡秀章氏は、このように、市行政に訴えていました。

「「北部落」の同和地区指定を即刻解いて、その住民にことの次第を説明して謝罪するとともに、被差別部落ではない一般地区を同和地区指定して、国から騙しとった同和対策事業費を即刻返還すべきである」。

筆者は、糾弾会に陪席して、はじめて、部落差別問題の「深い淵」を見る思いをしました。また、「同和対策事業」の「深い闇」をも見る思いがしました。「同和行政」が音を立てて崩れはじめている・・・。それを崩しているのは、「同和対策事業」「主体」である「同和行政」そのものだと・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿

『部落学序説』関連ブログ群を再掲・・・

Nothing is unclean in itself, but it is unclean for anyone who thinks it unclean.(NSRV)  それ自身穢れているものは何もない。穢れていると思っている人にとってだけ穢れている(英訳聖書)。 200...