2021/10/01

命題:「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である

命題:「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である


『部落学序説』としては、ひさしぶりに命題を立てることにしました。

「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。

この命題、読者の方々の中には、今更命題として取り上げる価値はない・・・、と判断される方が相当おられるのではないかと思われます。

この命題は、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者だけでなく、彼らによって啓蒙活動の対象とされる一般国民、民衆にとっても、いわば、常識化した命題です。ほとんどの人は、この命題について、反論しようとはされないでしょう。

一般説・通説・俗説の世界においても常識化してしまったこの命題を、あらためて、命題としてとりあげることにした背景には、戦後から今日までの部落研究・部落問題研究・部落史研究の累積にも関わらず、「特殊部落」・「特殊部落民」・「差別」・「差別語」が何であるのか、いまだに、明確な定義が獲得されていないという現実があります。

『「部落史」論争を読み解く』(解放出版社)の著者・沖浦和光氏はこのように語ります。「90年代に入ってからさまざまな視点から多様な部落史像が語られるようになった。活発な論争が展開されること自体は、歴史研究の水準を高める必須の契機なのだが・・・そのような錯綜した問題状況は、教育課題として、あるいは社会啓発の課題として、部落問題に取り組んでいる教育や行政の現場に戸惑いと混乱を生じた・・・」。

部落史研究の「基準」・「座標軸」だけでなく、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者が、再定義する必要のない暗黙の前提として使用してきた、「特殊部落」・「差別」という基本的な概念ですら、明確に定義され、一般的に受け入れられるような状況にはない・・・、ということを示しています。

『<差別と人間>を考える』(批評社)の著者・八木晃介氏は、「あとがき」でこのように記しています。

「差別問題についての言説が他者につたわりにくいのは何故なのだろうか。もちろん、そこには多様な理由が介在しているにちがいないが、決定的な問題は、差別問題についての言説の発信者(送り手)と受信者(受け手)とが互いにもっているはずの差別にかんする「意味」が相互にしばしばすれちがってしまうところにあるように思われる」。

『部落学序説』の筆者が、日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観を撃つべく、「特殊部落」・「差別」について発信しても、その受信者である読者の中には、筆者の研究成果を、既存の賤民史観の枠組みの中に再吸収して賤民史観に立脚した自説の延命に供する・・・、という場合も多々あるようです。

今回、<「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。>という命題を証明する過程において、当然、既存の部落研究・部落問題研究・部落史研究の論文の引用・解釈において、その研究成果の再発掘が行われる場合も少なくないと思っていますが、彼らの手にかかると、それすら、換骨奪胎され、彼らの都合のいい形で再利用されるて終わる可能性も少なくありません。

そういう意味では、筆者と一部読者との間の「すれちがい」は、今後も避けて通ることはできないように思います。

しかし、たとえそうであっても、『部落学序説』の執筆を継続するにあたっては、重要なキーワードについて定義する必要を感じます。今回の文章においては、「特殊部落」・「特殊部落民」・「差別」・「差別語」等のキーワードについて、明快に定義をした上で、論述を展開すべきであると思っています。「特殊部落」・「特殊部落民」・「差別」・「差別語」等の用語の定義と、それらを用いて執筆される文章・論文とは不可分の関係にあると思われるからです。不明確な定義からは不明確な文章・論文しか生まれない・・・、ことを考慮すると、明快な文章・論文にするためには、そこで使用する用語の定義は避けて通ることはできないと思われます。

上記の命題<「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。>の淵源は、原田伴彦著『被差別部落の歴史』(朝日選書)の「序章 部落の人びとは特殊な人びとではない」の最初の項「犯罪用語-特殊部落」の一節です。

「「特殊部落」あるいは「特殊民」ということばは、明治の四十年ごろに、政府筋によってつくられた一種の官製的な差別用語」でした」。

原田伴彦氏の文章を参考にして、筆者は、上記の命題を設定したのですが、しかし、同じ命題に依拠しているからといっても、筆者が、原田伴彦氏の教説を無批判的に受容しているというわけではありません。日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観に依拠する原田伴彦氏と、賤民史観を歴史学上の差別思想であるとしてそれを否定する『部落学序説』の筆者との間には、深い認識のずれがあります。原田伴彦氏が意図的に無視した史料を筆者は、原田伴彦氏に説を批判するときの根拠にするからです。

以前にも記したことがありますが、部落研究・部落問題研究・部落史研究の学者・研究者・教育者の真意は、引用された文献・語られた内容の中だけでなく、引用されなかった文献・語られなかった内容の中にその存在を確認することができる場合が多々あります。

たとえば、原田伴彦氏は、その書の中で、「日本共産党の設立者」によって作成された文章を引用しています。

文章A:「ズット高い階級のものからみれば、貧乏人はみな賤しむべき奴隷だ。なにも『特殊民』だけを、とくにいやしむべきものとは思っていない。けれども『特殊民』というものをこしらえて、それにあらゆる侮辱をよせかけておけば、一般の貧乏人どもをいくらかゴマ化すことができる。すなわち馬鹿な貧乏人どもは、まだ自分より下のものがあるように考えて、いくらか自分どもの地位を高いように思うのだ。高い階級のものはそこをよくのみこんでいるから、わざと『特殊民』諸君を一般社会の侮辱のまとにさせるのだ。そして馬鹿な貧乏人どもがそれにのせられて、よい気になって諸君に侮辱を加え、自分らの侮辱されていることを少しでも忘れようとするのだ。諸君こそ実によい迷惑だ。そして馬鹿な貧乏人どものその馬鹿さかげんに我々はあきれるのだが、しかしどうしようもない・・・」。

原田伴彦氏は、このことばを引用しながら、このことばの執筆者の差別性に対してひとことも言及していません。むしろ、<善意>(筆者の目からみると悪意にみえる)に解釈してこのように綴ります。

文章B:「このなかには、解放運動は、たんに部落だけのことではなく、貧しいものがいっしょになって貧富の差別をなくしていくために闘う、つまり貧しい小作人などの農民や労働者の階級闘争と結合してやっていくべきだという社会主義者の考え方が示されています」。

原田伴彦氏と違って、無学歴・無資格の「ただのひと」、「貧乏人」の末裔でしかない筆者は、どこをどのように解釈したら、原田伴彦氏ように、文章Aから文章Bという解釈を引き出すことができるのか、不思議に思います。

原田伴彦氏は、「「特殊部落」あるいは「特殊民」ということばは、明治の四十年ごろに、政府筋によってつくられた一種の官製的な差別用語」でした。」といいますが、「特殊部落」・「特殊民」という「官製的な差別用語」に、日本共産党・社会主義者固有の民衆分断説・愚民論的解釈が付加され、絶望的な「特殊部落」・「特殊部落民」という概念が作り出された可能性をことさら隠蔽しようとしているようにも見えます。

「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。

同じ命題に立脚するといっても、原田伴彦氏の概念・命題の用法と、『部落学序説』の筆者のそれとは大きく質と内容を異にしていますので、命題:<「特殊部落」・「特殊部落民」は差別語である。>には、再定義が必要です。「特殊部落」とは何か・・・。「特殊部落民」(特殊民)とは何か・・・。「差別」とは何か・・・。「差別語」とは何か・・・。

『部落学序説』と、既存の歴史学上の差別思想である「賤民史観」との、部落研究・部落問題研究・部落史研究上の基本用語の定義をめぐる葛藤と抵触は避けて通ることはできないようです。

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