2021/10/03

「部落」と「暴力団」に関する一考察 7 目明し金十郎の賭博容疑に対する弁明

「部落」と「暴力団」に関する一考察

第7回 目明し金十郎の賭博容疑に対する弁明

延享元年(1744)11月、守山藩陣屋は、「ばくち」に対する一斉取り締まりを実施しました。

「守山陣屋には代官のほか郡方・代官方・目付方の役人がいて政務をとり、その下に押衆・郷足軽と呼ばれる農民から採用された下級役人がいた・・・」そうですが、その他に、街道筋の治安・維持を担当する「通り者」や「目明し」が、近世幕藩体制下の司法・警察システムを構成していました。

「ばくち」に対する一斉取り締まりを実施する前に、陣屋は、さまざまな情報収集をしていたと思われます。

金十郎をはじめとする「目明し」や「通り者」の、当時の司法・警察である「非常民」としての基本的な職務は、情報収集です。犯罪を立証するための情報収集をしたうえで、陣屋の指揮で、犯罪者の捕亡に着手するのが普通でした。

おそらく、目明し金十郎も、延享元年11月の「ばくち」に対する一斉取り締まりのために、日夜走り回って、その職責を果たしていたと思われます。

ところが、その月の16日、金十郎は、陣屋に呼び出されて、「ばくち宿」を開いて「ばくち」をした嫌疑で厳しい詮索を受けるのです。

それは、「目明し役の者はばくちをしてもよいと思っているのか、お前たちを目明しに任命しているのは、領民たちがばくちをしないよう、また盗賊が入り込まないように取り締まって、領内を平和に保たせるためであるにもかかわらず、それどころか自宅でばくち宿をやり、近くの者まで賭場に引き入れたというではないか・・・」というものでした。

「もしお前が一文構えのばくちをしているのを見つけたならば、きびしくやめさせなければならないのに、逆にお前自身が相手になっているとは目明しにふさわしくない行為である。」と陣屋から厳しく取り調べを受けます。

現代の警察官にひきつけて考えれば、賭博の一斉検挙の最中、現職の警察官宅において賭博が開帳されたことが発覚、警察署は、「賭博を取り締まるべき警察官がなんてことをしてくれたんだ。これでは、警察の威信が揺らぐ・・・」と上使が部下を厳しく取り調べをしている光景を想像することができます。

金十郎が、「ばくち宿」を開き、「ばくち」をしていたというのが事実なら、金十郎は、目明しの職務に違背するいとなみをしたということで目明しの職務を剥奪され、犯罪者として処罰されることになったでしょう。

しかし、金十郎は、陣屋の取り調べに対して、次のような弁明をしているのです。

<「賭場」を開いた覚えはありません。陣屋の耳に入った情報は、もしかしたら、「自宅の普請の祝儀」の席での話かも知れません。金十郎こと、私は、念願かなって家を新築することになりましたが、そのことを祝って、目明し仲間たちがやってきました。その夜、「慰み遊びのためのばくちをした」ことがありますが、それは「一文構え」のばくちであり、今回取り締まりの対象になっている賭博のように、一瞬にして家・屋敷を失うような投機的な賭博とは異なります。新築祝いに駆けつけてくれた仲間うちでの慰め遊びに過ぎません。関係者以外は、一名たりとも参加させてはおりません。「ばくち宿をしたような事実」はまったくありません。今回、「風聞にせよ、陣屋をわずらわし申し訳ない」とつくづく反省しております。今後は、疑わしい所作をすることがないよう、「いっさい慎み、領内の(「ばくち」の摘発をはじめとする)吟味」に力をいれたい・・・>。

金十郎の自己弁明に対して、守山陣屋は、「それならば今回のことは不問にするが、・・・守山町付近の四か村ばかりでなく領内全体にわたってばくちがなされないよう取り締まり、ふだんから不行跡者とされている者にはよく注意を与えるよう努めよ・・・」と戒告を与えるのです。陣屋の情報収集は、金十郎が「わたましてら」(普請祝いの賭博の寺銭)を13貫ほど手にしたことまで徹底したものでしたが、「聞き捨て」扱いとされたようです。13貫というのは、3両1分に該当します。金十郎の新築祝金を含んでいると考えると、この金額が実質上のとばくになるのかどうか・・・。ちなみに3両といいますと、一人の浪人に対する臨時雇い、各種職人の常雇いの年収に匹敵します。

ともかく、目明し金十郎は、守山陣屋の「ばくち」に対する一斉取り締まりの際に受けた嫌疑を上記のような弁明ではらしたのです。

その後、目明し金十郎は、司法・警察官としてまぎらわしい行動をとることを避け、その職務を忠実に果たしていきます。寛延元年(1748)、下白岩村の賭博に関する事件を捜査し(他藩の「やくざ」が賭博で巻き上げられた5両と取り戻そうとして白刃を振りかざして暴れた事件)、みずからが「目明し」ではあっても「博徒」ではないことを立証していきます。そして、「ばくち」の嫌疑を晴らしてから26年間、目明しの職務を辞するまで、近世幕藩体制下の司法・警察官である「目明し」の職務をまっとうするのです。そして、名誉ある目明しの職務を甥の源之助に受け渡していくのです。「博奕」・「やくざの顔役」としてではなく、司法・警察官たる「目明し」として・・・。

阿部善雄著『目明し金十郎の生涯』で、「目明し」=「ばくち打ち」=「やくざ」として立証しようとしていますが、その同じ論述の中で、はからずも、「目明し」≠(「ばくち打ち」=「やくざ」)であることを立証しているのです。阿部善雄氏がその矛盾に気付いていない、気付いていてもそれを無視している背景に、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の法を遵守する姿勢を見失っていることがあるのではなないかと思われます。日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」から自由になることができない限り、その矛盾に気付くことはないのかも知れません。

筆者の『部落学序説 非常民の学としての「部落学」構築をめざして』の視点・視角・視座からしますと、現代的社会問題としての「部落と暴力団」問題の背後に、近世幕藩体制下の「穢多と博奕」問題を重ね合わせることは歴史の事実に著しく違背するものであると思われます。

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