2021/10/03

太政官布告の釈義 1:太政官布告(第488号と第489号)

太政官布告の釈義 1:太政官布告(第488号と第489号)


岩波近代思想大系の『差別の諸相』から明治4年の太政官布告を再度引用します。

【賤民制廃止の布告】

[太政官第488号、布告8月28日]
穢多非人等ノ称被廃候条、自今身分職業共平民同様タルベキ事。

[太政官第489号、布告8月28日]府県
穢多非人等ノ称被廃候条、一般民籍ニ編入シ身分職業共都テ同一ニ相成候様可取扱、尤モ地租其外除蠲ノ仕来モ有之候ハバ引直シ方見込取調大蔵省ヘ可伺出事。

太政官布告第488号と489号とは、一般的には、ひとつの太政官布告として取り扱われます。しかし、明治政府があえて、「穢多非人等」について第488号と489号の二つの布告を出したのは、それなりの理由があったと想定されます。しかし、部落史研究において、その理由の解明は関心の的にならず、今日まで看過されてきました。

『明治維新と部落解放令』の著者・石尾芳久は、明治4年の太政官布告を「部落解放令」と称して、その条文の解釈を展開しています。しかし、石尾もまた、太政官布告488号と489号を二つの布告として受け止めず、ひとつの「部落解放令」と認識します。

上杉聡は、『これでわかった!部落の歴史(私のダイガク講座)』の中で、これまで、明治4年の太政官布告の内容を「解放令」と呼ぶことが一般的であったといいます。しかし、上杉は、一般説に追従することはできないといいます。その理由に、布告の条文の中に「解放」という言葉が見当たらないといいます。明治4年の太政官布告に「なんらかの名前を付けたり番号を付けるのはずいぶん後になってからのこと」であるといいます。「とくに「解放令」という呼び方は、後世の布告に対する過剰な評価が加わっている」といいます。上杉は、さらに、この布告を「賤称廃止令」と呼ぶのも「誤解」に基づくというのです。この布告は、単なる名称の変更ではなく、「大きな法制的な変革」であって、「穢多非人等」の「職務が廃止されることを告げたもの」であるというのです。更に、「職務」だけでなく「制度」の廃止をも含むというのです。上杉は、「この布告を「解放令」と呼ぶのは過大評価になる」と指摘し、「むしろ「賤民制廃止令」ないし、略して「賤民廃止令」などと呼ぶ方が適切」であるといいます。

明治4年の太政官布告について、厳しく迫る石尾芳久や上杉聡にして、この布告を、太政官布告第488号、太政官布告第489号の二つ条文から構成され、それぞれの条文に明治政府の政治的意図が反映されていることに思いを馳せさせることはないのです。

しかも両者の説は、著しく異なります。明治4年の太政官布告の解釈について、石尾芳久・上杉聡の解釈を比較検証するだけでも、明治4年の太政官布告についての学的研究が、まだ「混乱」状態にあり、研究上の定説はいまだに形成されていないのではないか・・・、ということに思いいたります。明治4年の太政官布告について、その条文の釈義・解釈が十分なされていないにもかかわらず、近代天皇制を無意識に受容する学者・研究者・教育者・運動家や政治家によって、明治4年の太政官布告は、「天皇の聖旨」(秋定嘉和著《近代部落史研究の課題》)に基づくありがたい言葉として、不問に付されたまま、近代部落史研究の前提となってきたのです。黒川みどりの論文等は、その典型です。

黒川みどりの『地域史のなかの部落問題』(解放出版社)によると、「解放令」は、明治天皇の下ですべての国民が「平等」であるという日本の近代性(開明性)の誇示の一貫として打ち出されたといいます。そのため、この太政官布告は、「被差別部落の人々が平等を要求していく際の武器」となっていったといいます。黒川は、解放令反対一揆の中に、この「武器」を根拠に、「部落民衆」は「平等」を実質化するための闘争を展開していったというのです。黒川は、「部落民衆」は、「「解放令」によって封建的身分制度が廃止されたあと」「前近代から持ち越され、民衆の生活意識のなかに浸透していた「けがれ」が・・・身分制度に代わって有効に機能」したというのです。

無学歴・無資格のただの人である筆者の目からみると、黒川の論文も、前項でとりあげた臼井壽光の指摘する、近世部落史研究と近代部落史研究の「接合」が正しくなされていない事例に数えられます。上杉が、この布告を批判検証することで、この布告には「人権への配慮など・・・みじんもありませんでした」と断定するのと対照的に、黒川は、この布告を近代部落史の前提として認識するため、明治4年の太政官布告を「批判・検証」することはありません。例えば、「自今身分職業共平民同様タルベキ事」という言葉を、無批判的に受け止める黒川は、「被差別部落は、「解放令」と同時に、それまで従事してきた斃牛馬処理などの仕事が特権ではなくなった」と、歴史上の事実誤認に陥ってしまいます(8月28日の太政官布告に先立って、近世幕藩体制下の特権は解消されている)。

石尾芳久・上杉聡に黒川みどりを加えると、「部落解放令」(石尾)・「賤民制廃止令」(上杉)・「解放令」(黒川みどり)に対する解釈は、ますます複雑な様相を呈して、混乱に拍車をかける結果に陥ります。

部落研究・部落問題研究・部落史研究において、明治4年の太政官布告第488号と489号は、近代部落差別の起源を尋ねる際に、極めて重要な意味を持っているにもかかわらず、今日の部落史の学者・研究者・教育者の世界では、諸説入り乱れて混乱した状態が醸しだされているのです(続く)。

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