2021/10/03

太政官布告の研究方法

太政官布告の研究方法

『いま部落史がおもしろい』(解放出版社)の著者・渡辺俊雄は、このように語ります。

「近年、部落史研究で見直されていることは、実に多くあります。・・・その基本には、部落史の研究が進み、これまで知られていなかった新しい事実や部落史の新しい見方が生まれてきたことがあります。例えば、啓発の文章ではいわゆる「解放令」をまだ太政官布告「第61号」と書いてある場合がありますが、そう呼ぶのが誤りであることは、すでに鈴木二郎さんが『現代都市の社会学』という本の中で指摘し、さらに上杉聡さんがまとめた『明治維新と賤民廃止令』で広く知られるようになりました」。

渡辺によると、「明治4年太政官布告第61号」という表現は、部落史研究の進展状況を把握していない筆者の後進性に由来することになるのでしょうか。

岩波近代思想大系『差別の諸相』では、明治4年のこの布告は、「太政官第448号、布告8月28日」と「太政官第449号、布告8月28日」のふたつの法令として収録されています。『差別の諸相』の注解者・ひろたまさきは、このふたつの法令を、「一般に「解放令」あるいは「賤民解放令」「賤称廃止令」といわれる」と解題に記していますが、「解放令」・「賤民解放令」・「賤称廃止令」という名称は、ある種の歴史解釈です。このふたつの法令を、「解放令」・「賤民解放令」・「賤称廃止令」と呼んだ瞬間に、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」を暗黙裡に容認したことになります。私は、それを避けるために、形式的な表現「○○年太政官布告○○号」という呼び方を採用したのです。

『差別の諸相』からこのふたつの法令を引用します。

5 賤民制廃止の布告
[太政官第488号、布告8月28日]
穢多非人等ノ称被廃候条、自今身分職業共平民同様タルベキ事。
[太政官第489号、布告8月28日]府県
穢多非人等ノ称被廃候条、一般民籍ニ編入シ身分職業共都テ同一ニ相成候様可取扱、尤モ地租其外除蠲ノ仕来モ有之候ハバ引直シ方見込取調大蔵省ヘ可伺出事。

第488号と第489号を比較しますと、「穢多非人等ノ称被廃候条」という表現は完全に一致します。続く、「自今身分職業共平民同様タルベキ事」(第488号)と「身分職業共都テ同一ニ相成候」(第489号)は、その内容においてほぼ一致します。第489号にのみ出てくる表現は、「一般民籍ニ編入」という言葉と、「地租其外除蠲ノ仕来モ有之候ハバ引直シ方見込取調大蔵省ヘ可伺出事」という言葉です。

明治政府は、一般国民に対しては、第488号を布告し、明治政府の中央集権国家の地方行政を担当する「府県」に対しては、第488号の布告の意図をより明らかに定義した第489号を布告したとも考えられます。第488号は、極めて抽象的な内容ですが、第489号は、禁制幕藩体制下の「穢多非人等」の戸籍と税制上の優遇制度の廃止という極めて具体的な威容です。明治政府は、一般国民に対しては、あいまいさを留保し、「府県」に対してはあいまいさを排除しています。背後に、明治政府の隠された意図がありそうです。

ふたつの太政官布告の意味について言及する前に、明治4年の太政官布告の研究方法について、少しく検証してみましょう。

明治4年の太政官布告の研究方法について言及した論文に臼井壽光著《「解放令」反対不穏状況の分析》があります。この論文が収録されている好並隆司編『明治初年解放令反対一揆の研究』(明石書店)は、私のような学歴も資格も持ち合わせていないただの人にとっては、非常にありがたい論文集・資料集になります。

「解放令」反対一揆の研究は、当然「解放令」の研究を内包します。「解放令」の正確な分析と批判検証を経なければ、「解放令」反対一揆の正確な把握は覚束ないからです。この『明治初年解放令反対一揆の研究』は、好並隆司・石瀧豊美・三好昭一郎・宇賀平・臼井壽光・上杉聡各氏の論文と、その他に小林茂・師岡佑行・美馬敏男・谷口修太郎・山口信夫・若林義夫各氏による見解が収録されています。この論文集を読むと、多様な「研究者の視角」を自分のものにすることができます。好並は「各論者の独自な主張が開陳されて互に譲らない箇所もあり、提起された課題にたいし、早計に結論をだしえない状況が生じていることは読者も容易に察知されるところであろう」とコメントしていますが、『明治初年解放令反対一揆の研究』を通して入手することができる情報量は驚くべきものがあります。

この論文集が出されたのは、1987年です。『部落学序説』の筆者である私が、まだ、所属している宗教教団の教区の同和担当部門の委員をしていたときに、発行と同時に入手して通読しました。そのときは、『明治初年解放令反対一揆の研究』の内容を十分に把握することはできませんでした。その当時、山口県の同和教育研究協議会や山口県の同和問題宗教者連帯会議の研修会や講演会に出席したり、発題したりしていました。また、山口県の部落解放同盟のいくつかの支部に出入りして、被差別部落の人々から聞き取り調査をしていました。差別事件が発生すると、その糾弾会や交渉に陪席させてもらい見聞を深めていた時期です。どちらかいうと、教区の同和担当部門のトップの指示に従って、具体的に被差別部落と出会い、被差別部落の人々から、部落差別とは何かを学ぶ・・・、そういう姿勢で取り組みをしていた時期です。それからほとんど、この書を開くことはなかったのですが、今回あらためて目を通して見て、各氏の論旨、発言の内容が手にとるように分かるようになっていたので、筆者に『部落学序説』執筆が何を齎したかを認識することができました。

臼井壽光は《「解放令」反対不穏状況の分析》という論文の中でこのように語ります。

「近年の、「解放令」布告、施行過程に関する部分を含む、近代部落問題成立史研究は、ある意味で当然のことであるがほとんど近代史研究者に担われている。ところで70年後半以後の近世部落史研究の進展は顕著なものがあるが、残念ながら近年の近代部落史研究は近世部落史研究のそれらの新たな成果をフォローしていない、あるいは正しく接合されるに至っていないと見ざるをえない」。

学問の専門化傾向は、歴史学の内部にまで及んでいるようです。近世部落史研究と近代部落史研究は、それぞれ別な研究者によって研究され、必ずしも、研究成果の相互交流をしていないというのです。臼井の論文を読んでいて、私は、あることに妙に納得したのです。なぜ、近代部落史は、明治4年の太政官布告から筆を起こすのか・・・。なぜ、明治4年の太政官布告を批判・検証しないのか・・・。長い間ずっと疑問に思っていました。山口県立文書館の元研究員の布引俊雄は、幕末の研究から一挙に融和事業へ飛躍してしまいます。その過程(明治元年から明治23年までの期間)を研究上の空白にします。同じ文書館の元研究員の北川健は、布引俊雄が研究上の空白にしたままにしていることがらについて研究します。布引俊雄というひとりの部落史研究者の中にあっても、近世と近代とは、必ずしも「正しく接合されるに至っていない」のです。

筆者は、布引俊雄の論文を読んでいて、布引が意図的に避けて通っている明治元年から明治23年までの期間に、部落史上大切なことが進行していたのではないか・・・、と考えるようになっていったのです。

近世部落史研究と近代部落史研究をどのように「接合」することができるのか・・・。臼井は、傾聴に値するいくつかの提言をしています。臼井は、「近世賤民制の構造的理解がなければ近代部落問題成立の正しい筋道を得ることはできない」といいます。「近世賤民制の何が解体し何が残ったのかという・・・ここのところを正確にする作業ぬきに、「解放令」反対一揆研究も新しい段階を画することはできないであろう。近世賤民制の構造をキッチリと明らかにするということそのものが十分な形あるものとして示されるかといえばもちろん否定的であるが、近代史研究の側が、なんかこうした視角をもちえない、提起さえしていないということはやはり大きな問題であり・・・誤った近世理解では新しい水準を生み出すことはむつかしかろう。」といいます。

臼井は、「近世賤民制の構造的理解」だけでなく「地域構造の分析」が必要であるといいます。「地域構造の分析を含まなければ反対一揆研究は単純な反対一揆研究に終始してしまうのではないか。」というのです。

臼井の指摘に対して、筆者は、「近世賤民制の構造的理解」としては、①「常民」・「非常民」概念の導入、②「日常・非日常」と「常・非常」の二重構造、③ケ・ケガレ(気枯れ)・ハレとケ・ケガレ(穢れ)・キヨメという社会的再生メカニズムにおけるケガレの二重性等の論述がそれを満たしているように思います。また、「地域構造の分析」については、①村のシステム、②村境における祝福と呪い等に関する論述がそれを満たしているように思います。

臼井の提言と、筆者の『部落学序説』の論述に一致したところがあるというのは、昔、臼井の《「解放令」反対不穏状況の分析》という論文を読んだときに深い影響を受けたためではないかと思います。筆者は、58歳、あと1ヶ月少々で59歳になりますが、次第に「記銘力」が減退気味になりつつあります。「記憶力」はあるのですが、「記銘力」は徐々に減退していっていることを認めざるをえません。『部落学序説』の執筆を続けるためには、一定の時期に「記憶」の入れ換えが必要になってきます。「記憶」の入れ換えのために、このブログ・・・、ときどき執筆の中断が生じてしまいます。

臼井は、「近世賤民制の構造的理解」や「地域構造の分析」が欠けるとき、つまり、「一揆に至る過程や広い状況の分析を欠いている」場合、「解放令」や「解放令」反対一揆について、「叙述はあっても分析はなされていない」といいます。臼井は、上杉聡の部落史研究は、「近世賤民制の構造的理解」や「地域構造の分析」を欠いた、「現象説明の域を出ない」と酷評します。

臼井は、近代部落史研究に際しては、「官側史料に無批判な、これに全面依存した研究」であってはならいといいます。権力側が作成した史料のみに依拠すると、「権力側がどのようにでも操作することが可能」であるという事実を看過してしまうことにつながるといいます。臼井は、上杉聡の研究を批判して、「「進歩的」官僚と「遅れた」民衆図式の上に立つ上杉も官側史料について何らの疑いも抱いていない。」といいます。臼井はまた、「近世賤民制の構造的理解」や「地域構造の分析」が徹底されないため、「地方文書利用の尤も多い」ひろたまさきですら、近代部落歴史に関する史料を、「傍証・周辺史料として地方文書が利用されているに過ぎない。」といいます。

近世部落史と近代部落史の「正しい接合」を達成するためには、「地方文書」の批判・検証に基づく、「地方文書」そのものの正当な解釈が必要となるというのです。臼井は、更に、「私達が心がけたいことは府県史料等を使わない、少なくとも一次史料としてはこれを使用することを禁欲するということである。これらの史料の批判操作、方法論が確立していない現状の下では、誘惑に満ちた大量のこれらの史料を使わないという形で一度該期の分析を試みることも一定の意味があろうと考えるのである。」といいます。

臼井壽光の論文をもっとはやく精読していれば、『部落学序説』は、もっとはやく完成させることができていたかも知れません。

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