2021/10/02

「エタ」(旧警察)と「ネス」(新警察)

 「エタ」(旧警察)と「ネス」(新警察)

(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その13)

『部落学序説』でおりにふれて取り上げてきたことばに「ネス」ということばがあります。

筆者が、このことばに最初に遭遇したのは、元徳山藩「北穢多村」の系譜をひく被差別部落の中で開かれていた、部落解放同盟新南陽支部の解放学級でのことです。

その当時、部落解放同盟新南陽支部は、「いい働き」をしていて、その被差別部落の人々だけでなく、一般の大学教授・高校教師・小中教師・新聞記者・宗教者・全障連の方々・・・、実に多様な人々がその解放学級に参加していました。

山口県で被差別部落の人々から本当の話を聞くためには、「あそこに行け!」といわれていた被差別部落です。

筆者が、最初に、その被差別部落を尋ねたのは、山口県立某高校の藤村安男氏に同行してのことでした。そのころ、藤村安男氏をリーダーにして、『やられたらやりかえせ』という山谷の労働者の闘争を描いた映画の上映運動がありましたが、下松地区にあっては、下松愛隣教会を事務局にしてその上映運動を実施しました。

しかし、なかなか、「入場予約券」を売ることができません。上映期日も迫っているし、なんとかしなければ・・・ということで、労組をはじめ各種運動団体の事務局を尋ねては「入場予約券」を売って回ったのですが、あるとき、藤村安男氏が、「部落解放同盟に行ってみようか」というのです。「ええ? 先生、場所、知ってるの?」といいますと、「知っている!」といいます。「さすが、同和教育担当・・・」と、筆者は、藤村安男氏の情報網と人間関係の広さに驚きの思いを持ちながら、彼の車で、部落解放同盟新南陽支部を尋ねました。

私たちは、新南陽市の同和向け住宅の一室にある、部落解放同盟新南陽支部の事務所に通されたのです。そこでは、「運動家」と思われる人々が、すき焼きをつつきながら夕食をとっておられました。

「あなたがたお食事は?」と聞かれるので、「すませてきました・・・」と答えると、コーヒーを入れてくれました。そのコーヒーを飲みながら、「運動家」の話に耳を傾けましたが、一言ひとことに驚きの思いを持ちました。「俺たち、穢多は・・・」と大きな声で話しあっていたのです。一般的に差別語といわれている「穢多」ということばを大きな声でしゃべりまくる、この人たちはどんなひとなのだろう・・・、私はそう思わざるを得ませんでした。

コーヒーを飲み終わったころ、「運動家」と思われるひとが、私たちにこのように語りかけてきたのです。「ところで、あなた方は誰?」

人生の中で度々驚きを経験しますが、私は、そのときほど驚いたことはありません。すぐ、横にいた藤村安男氏に、「先生、知っているひとではなかったのですか?」と耳元でささやくと、彼は、「知らない・・・」といいます。

私たちは、『やられたらやりかえせ』の「入場予約券」を売り込むために、見ず知らずの被差別部落のひとの家に夕食時にあがりこんで、コーヒーをごちそうになっていたのです。「ところで、あなた方は誰?」と聞かれたときには、全身から冷や汗がでました。

藤村安男氏も私も、「部落解放運動」とはまったく関係がない存在ですから、「差別発言」をしないという保障はどこにもありません。それに、藤村安男は、口の軽い方なので、自分の「差別発言」だけでなく彼の「差別発言」も気になったのです。

しかし、突然尋ねた部落解放同盟新南陽支部のひとびとは、「入場予約券」を買ってくださったのです。

それからしばらくして、部落解放同盟新南陽支部のある被差別部落の隣保館で、「人間の街」写真展があるというので、見にこないか・・・という電話がありました。藤村安男氏は、「都合が悪い」といわれるので、私ひとりで、その写真展に行きました。はじめて、たったひとりで、被差別部落を尋ねた瞬間でした。

隣保館の会場には、ひとりの女性が受け付けにいるだけでした。会場には、その他に誰もいませんでした。シーンとした会場を一回りして受け付けに戻ると、その女性、明石さんというひとが、話しかけてきました。

なにでも、彼女のお姉さんは、東京に在住とかで、クリスチャンだそうです。ふるさとを離れたままで、東京の教会では、自分が被差別部落出身であることを隠している・・・、そんなことも話していました。私が牧師であることを告げたためでしょうが、なにか、ざっくばらんにいろいろなことを話しかけてこられました。

明石さんは、あるとき、私の右手首の手術あとをみて、「手術成功したんですね。よかったですね・・・」といいながら、明石さんの手首を私の前に出されました。「私の場合、手術に失敗して、この通り動かなくなってしまったのです・・・」といわれます。私の右手首の関節の手術をしてくれた北里大学医学部の整形外科の助教授の方が、手術に失敗すれば、「手首の関節がカニに手のようになる」といわれていた・・・、そんな手を差し出して、「よかったですね・・・」と言われたのです。そのことばの響きは、本当に、「よかったですね・・・」という気持ちがこもっていました。

その明石さんから、この隣保館で解放学級が開かれていること、そして、被差別部落の人々だけでなく一般のひとも参加していると教えられたのです。「是非参加してください」と言われるので、解放学級に参加することを約束して帰りました。

私は、教会の役員会にかけて、その解放学級参加を了承してもらって、次の週、はじめて、被差別部落の中の隣保館で開かれる解放学級に参加したのです。

藤村安男氏は、イベント屋さんなので、彼が主催するイベントとの関連で、部落解放同盟を利用できるときにしか、その地区を尋ねることはありませんでしたが、私の方は、明石さんのすすめで、「イベント」とは関係なく、部落解放運動の「ルーチン」にかかわるようになっていったのです。

その解放学級の魅力は、その被差別部落のひとびとから、生活体験や、被差別部落に伝えられている伝承を聞くことができることでした。その解放学級で、「部落と警察」、「部落と犯罪」というテーマが取り上げられたことがあります。

当時の部落解放同盟新南陽支部の支部長は、「部落と警察」、「部落と犯罪」というテーマで話をされるとき、とても楽しそうに話をしていました。一般的には、庶民にとって、「警察」・「犯罪」は縁のないものです。しかし、支部長さんは、いつも、にこにこしながら、その話をされていたのです。

「部落」と「警察」・・・、何の関係があるのだろうか・・・。「警察」ということに対して、親しみと懐かしさを持って語ることができる支部長さんの存在に、私は驚かされました。背後になにかあるに違いない・・・、筆者はそのとき直感したのです。

支部長さんが話していたことに、「エタ」と「ネス」という一対のことばがあります。支部長さんによると、「エタ」ということばを投げつけられて差別されたとき、相手に「ネス」ということばを投げかけていたというのです。

「エタ!」
「ネス!」

このことばのやりとりは、どういう意味をもっているのか・・・。支部長さんが、笑いをまじえて話すこのことばのやりとりは、本来、どういう意味があったのか・・・。その問いに対する答えを手にしたのは、支部長さんがなくなられたあとのことでした。

「エタ」は玄人(プロフェッショナル)、「ネス」は素人(アマチュア)の意味ですが、「エタ」と言われて被差別部落のひとは、その差別語のために傷つきます。その差別行為に対する応酬として、差別する一般のひとに「ネス」と投げ返すとき、一般のひとはそのことばにどれだけ傷つけられるのか・・・。一般のひとは、「ネス」という言葉によって、つゆも傷つけられるということはないのではないか・・・。

「エタ!」
「ネス!」

この短い言葉のやりとりは、「差別」対「被差別」の言葉のやりとりではないのではないか・・・。私にはそう思われたのです。

支部長さんに頼まれて、「エタ!」・「ネス!」という言葉のやりとりの背景を調べ続けていたのですが、やがて、「エタ!」・「ネス!」についてこのように考えるようになりました。

「エタ」(=近世幕藩体制下の司法・警察である非常民としての穢多で、明治4年の太政官布告以降非常民の職を解かれたひとのこと)
「ネス」(=明治4年以降、警察官になった元常民及び元武士の一部)

「やあーい、首になった警察官!」
「素人警察官が何をぬかすか!」

そういう意味で、「エタ!」・「ネス!」がやりとりされていたとしたら、「エタ!」と言われて玄人(プロ)はプライドを傷つけられるし、「ネス!」と言われて素人(アマ)も同じくプライドを傷つけられます。お互いに傷つけあってこそ、「エタ!」・「ネス!」という言葉のやりとりは意味をもってきます。

「部落学の祖」、『部落差別を克服する思想』の著者・川元祥一は、「旧番人」・「新番人」という対の言葉を使用しますが、

「旧番人」(警察官としての専門的知識と技術をもっているにもかかわらず、国策で解雇された旧警察官)
「新番人」(警察官としての専門的知識と技術をもっていないにもかかわらず、国策で採用された新警察官)

と解釈しますと、「旧番人!」と揶揄されて、「新番人!」と切り返すことが意味をもってきます。そういう意味で「エタ!」・「ネス!」という言葉のやりとりがなされたのではないか・・・。

そう考えたとき、部落解放同盟新南陽支部の、当時の支部長さんが、楽しそうに懐かしそうに、「部落と警察」、「部落と犯罪」の話をされる「生活の座」(Sitz in Leben)にたどりついたような気がしました。

しかし、残念なことは、そのことに気付いたのは、支部長さんがなくなられたあとでした。ときどき、「この部落は警察とつながりが深いが、犯罪者はひとりも出していない」という支部長さんの言葉を思い出します。

*部落解放同盟新南陽支部発行『解放学級参加者のための資料 第1集』を参考にさせていただきました。

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