2021/10/02

「賤民史観」と遊女3 「遊女解放令」-日本歴史上最初の人権宣言2

 「賤民史観」と遊女3 「遊女解放令」-日本歴史上最初の人権宣言2

あらためて、井上清のことばを引用します。

「この宣言を起草したときの西光氏の回想が『部落』31号にのっている。西光氏は警察の追究の手をのがれて水平社創立オルグ活動のために京都ガス会社の修理工になり、島原の「すみや」という有名な遊廓のガス管をなおしたり煙突を掃除したりしているうちに信用をえて、仕事がなくても勝手にそこの物干台に上ることができるようになった。そこを秘密の仕事場として、西光氏は宣言文の想を練り、比叡おろしの寒風身にしむ2月のある日、その物干場でチビた鉛筆で細字で手帳に宣言文案を書きつけた。それが完成した日から、西光氏は島原に姿をあらわさなくなった。水平社の宣言は、学者の書斎ではなく、じつに最もしいたげられ人身の自由をうばわれた女たちの物干場で、労働者となったオルグによって書かれたのである」。

雑誌『部落』31号に掲載された西光万吉の回想から、井上は、西光万吉は「警察の追究の手をのがれて」いたといいます。西光は、思想犯として訴追されることをおそれて、「権力」(警察)から身を隠しながら生きていたのでしょうか。西光が、その身を隠す場所として選んだのが、「島原の「すみや」という有名な遊廓」でした。

「遊廓」に身を隠すといっても、いわゆる「遊廓」に出入りして、「遊女」と親しくなるような、「遊女」から、「遊女」としての痛み苦しみを聞きうるような状況に身を置いていたのではなさそうです。

西光が出入りすることを許されたのは、「遊廓」の表の世界ではなく裏の世界・・・、「遊廓」を尋ねるひとがほとんど関心を持つことがない「物干場」であったということは、西光は、「遊廓」の表の世界ではなく裏の世界にしか接触をもっていなかったということになります。

しかし、西光が、当時の「警察」からのがれて、「水平社宣言」の執筆のために身を隠すことになった場所が「遊廓」であったということは、たとえそれが、「遊廓」の裏の世界・「物干場」であっとしても、西光は、「遊廓」に身を置いているかぎり、「遊廓」・「遊女」について、なんらかの思いが脳裏を過っていったのではないかと思います。

しかも、「遊女」が、「<最も>しいたげられ人身の自由をうばわれた女たち」・・・であると認識されればされるほど、「特殊部落民」よりもさらに虐げられていた「遊女」に関心を持たざるを得なかったのではないでしょうか・・・。「特殊部落民」に対する差別は厳しい・・・。しかし、それ以上に「遊女」に対する差別は厳しい・・・。なんとかしなければ・・・。西光万吉が、少しでも、「遊女」に対してそういう気持ちを抱いていれば、それは、「水平社宣言」の中に組み込まれていったのではないかと思います。たとえ、「遊女」という概念を直接的にとりあげないまでも、「人身の自由」規定(大日本帝国憲法第23条)に対する違反を訴える文言がふくまれてもいいはずです。

しかし、西光万吉が、「水平社宣言」を「遊廓」の一角に身を置いて執筆したにもかかわらず、「水平社宣言」では、「<最も>しいたげられ人身の自由をうばわれた女たち」に関する記述は欠落しています。

「長い間虐められてきた<兄弟>よ・・・」
「多くの<兄弟>を堕落させた・・・」
「<兄弟>よ、吾々の先祖は・・・」

西光万吉によって書き下ろされた「水平社宣言」は、「姉妹」(女性)ではなく、「兄弟」(男性)にのみ向けて語りかけられているところをみると、西光万吉は、「遊女」について言及する精神的ゆとりを持ち合わせていなかったか、精神的ゆとりはあっても「遊女」についての問題意識がなかったか、問題意識はあっても、「水平社宣言」にとっては、直接関係のない二次的でしかなかったか・・・、いろいろ考えられますが、筆者の手持ちの資料ではなんともいえません。

「水平社宣言」の「兄弟」は「姉妹」を含む、その証拠に、「水平社運動」には、男性だけでなく女性も参加した・・・、と反論される方もおられるかもしれません。

しかし、「水平社宣言」には、「兄弟よ、吾々の先祖は、・・・陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であった。ケモノの皮を剥ぐ報酬として・・・」という表現がみられます。「水平社宣言」は、「特殊部落民」としての男性・女性の問題ではなく、当時の「屠場の労働者」を念頭においた男性の問題として記述されているのです。「水平社宣言」においては、「男」が前面にだされることで、「女」は限りなく後退させられています。

西光万吉は、「部落差別」については強い関心をもっていても、「女性差別」については無頓着・無関心であったと断定しても、あながち間違いではなさそうです。

『ナショナリズムとジェンダー』の著者・上野千鶴子は、社会主義運動の女性たちについてこのように語ります。

「コミュニストの女性たちは「階級闘争」という最優先課題のために、女性としての自己の抑圧を問題化することを妨げられた。彼女たちは「国家」を超えたかもしれないが、「ジェンダー」を超えなかった。しかもそれは「男仕立て」の社会主義インターナショナリズムに忠実であったおかげなのである」。

文脈を無視しての引用ですが、「水平社運動」についても同じことがいえるのではないかと思います。「水平社運動」は、「男仕立て」の部落解放運動に過ぎず、「水平社宣言」は、「人権宣言」としては、ジェンダー論的に「男性」に偏向したいびつな形態をとっており、真の「人権宣言」の名に値しない・・・といい得るのではないでしょうか。

井上清は、「水平社宣言」を「西光万吉によって起草された日本の人権発達史上比類のない調子の高い宣言」として評価しますが、『部落の歴史と解放理論』の「部落解放における婦人の役割」という文章を読めばわかりますが、井上清自身、西光万吉と同じ発想をもっていたことがうかがえます。

井上清は、「<部落解放のための>婦人集会」の必要性をときます。「<部落解放のための>婦人集会・・・という特殊な独自の性格をはっきり認識することがすべて出発点になる・・・」といいます。「部落の中で男女同権ということを確立するためにも・・・部落解放が行われなければならない」。「差別、圧迫をどうしてとり除くか、そのために婦人はいかなる役割をもち、働きをしなければならないか、まだどうすればその働きが出来るか、これを考えることが、私達の今日の・・・一番大きな眼目にならなければならない」。

「女性差別」からの解放は、「部落差別」からの解放の前では二次的・副次的・従属的でしかないという、井上清のジェンダー論的限界を示すことばです。

「被差別部落の女性は、部落解放のための反差別闘争に合流すべきであって、女性独自の闘いは意味がないばかりでなく、部落解放運動の団結を疎外すると見なされた」(上野千鶴子のことばを筆者が読みかえたもの)のです。

部落解放運動において、井上がいう「特殊な独自の性格」を主張すればするほど、近代・現代の日本の基本的な差別構造を構成している学歴差別・女性差別等が欠落していきます。

「水平社宣言」=「日本歴史上最初の人権宣言」という定式は、「水平社宣言」の今日的評価であるとすると、同じ今日的評価として、ジェンダー論の視点・視角・視座から、「水平社宣言」は「日本歴史上最初」の人権宣言でないばかりか、「女性解放」の視点・視角・視座を含んでいないという一点で、真の「人権宣言」とは認めがたいといい得ると思われます。

明治5年の「遊女解放令」は、なぜ「日本歴史上最初の人権宣言」なのか・・・、毛利敏彦著『明治六年政変』(中公新書)をてがかりに考察してみましょう。

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