2021/10/03

太政官布告の釈義 6.「身分・・・平民同様」

太政官布告の釈義 6.「身分・・・平民同様」


【身分・・・平民同様タルベキ事】

明治4年8月28日の太政官布告第488号の1節「身分・・・平民同様タルベキ事」という言葉は何を意味しているのでしょうか。

一般説・通説・俗説によると、この言葉から、明治4年の太政官布告は、「身分解放令」であるとの解釈がなされてきました。この布告によって、近世幕、藩体制下の「穢多非人等」は、「明治天皇の聖旨」によって、その身分から解放されて、その桎梏から自由になったというのです。

しかし、この布告は、本当に「身分解放令」だったのでしょうか。

『天皇制国家の支配原理』の著者・藤田省三は、明治元年正月、岩倉具視は、「君臣ノ道上下ノ分ヲ明カニシテ富強ノ基本ヲ鞏固ニシ国家ノ運勢ヲ興隆スル」(『岩倉公実記』)と「建国の目的を語っていた」といいます。

岩倉具視の「君臣ノ道上下ノ分ヲ明カニシテ」という言葉は、近世幕藩体制下の身分制度の必要性を説いた、徳川幕府の御用学者・林羅山の「君は尊く臣はいやしきほどに、その差別なくば、国は治まるまい。」という言葉に酷似しています。

岩倉は、近代天皇制国家樹立のためには、富国・強兵は必須の施策であると考えていました。岩倉は、国家の経済・軍事の近代化を強く指向していました。岩倉は、富国・強兵のために「君臣ノ道上下ノ分」を明らかにする必要、つまり、近代身分制度の確立が必要であると考えていました。

つまり、明治政府は、近世幕藩体制下の身分制度を廃棄して、身分制度のない近代社会を作ろうとしたのではなくて、近世幕藩体制下の身分制度を廃棄して、それに代わる、新たな近代身分制度を確立しようとしたのです。

前ページで取り上げた、埼玉県の高校教師・小松克己は、「身分制度を前提としないのが近代社会の通例である」といいますが、明治政府が残したさまざまな文献をみると、小松の認識は、否定しようのない史実の誤認であると思わざるを得ません。

太政官官吏・木下真弘が公務で作成した『維新旧幕比較論』(岩波文庫)の「族別」編において、皇族・華族(旧堂上)・華族(旧武家)・士族・神官僧侶・農・工・商・雑業という、近代身分制度上の身分が列挙されています。それぞれの身分が、「旧身分」から「新身分」にどのように変わったのか、箇条書きで比較できるように記されています(明治9~10年)。

明治13年に司法省が出した『全国民事慣例類集』には、「第1編人事 第1章身分ノ事 第1款 農工商穢多非人」という表題でてきます。この表題の中に、「身分」・「農工商穢多非人」という言葉がでてきますが、まさに、近代国家の中に、身分制度が構築されていったことのしるしです。『全国民事慣例類集』の中に記されている身分制度の図式・「天子・諸侯・士農・工・商・穢多・非人」は、近代天皇制国家において、「血統による秩序」として、「天皇・皇族・華族・士族・平民・新平民」という新たな身分制度に組み替えられていきます(ひろたまさき著・『差別の視線 近代日本の意識構造』(吉川弘文館))。

日本の近代天皇制国家は、近世幕藩体制下の「旧」身分制度を解体することで、身分制度のない新しい社会を作ろうとしたのではなく、「新」身分制度を新たに構築することで、「旧」身分制度に勝るとも劣らないより強固な身分制社会を作りあげていったのです。

埼玉県の高校教師・小松克己の「身分制度を前提としないのが近代社会の通例である」という説は、歴史の事実を無視した「虚妄」に過ぎないといわざるを得ません。

『部落学序説』の筆者である私は、明治4年の太政官布告の「身分・・・平民同様タルベキ事」という条文を、「非常民を常民化することを目的とした法令」と受け止めます。明治政府は、日本の国辱である治外法権撤廃の下準備のため、その障碍となる草莽・拷問・キリシタン弾圧問題の解消をはかるために強引に遂行した政策のひとつであると考えています。「穢多・非人」は、「同心・目明かし・村方」と共に、近世幕藩体制下の「非常民」身分から解体されたのです。

しかし、明治政府の本心は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の継承でした。近世幕藩体制下の「穢多・非人」が、「浪人対策」と「キリシタン対策」に重要な役割を果たしたように、近代天皇制国家の「旧穢多・非人」は、明治政府の権力の安定と維持のために不都合な反対分子の探索・捕亡・糾弾によって社会から排除するために、一部は「警察本体」に、一部は「警察の手下」に組み込まれていったのです。

明治政府は、近世幕藩体制下の司法・警察の本体である「穢多・非人」を、外交の都合上、表向きは、「非常民」から「常民」へと組み替え、制度そのものを廃棄していきますが、実際は、近世幕藩体制下の「拷問」・「法制度」温存させるため、「穢多・非人」制度をも影で温存させていくのです。筆者は、これを、半分解放して半分束縛する・・・という意味で、「半解半縛」と呼んでいるのです。明治政府の「穢多非人」に対する「半解半縛」政策が、明治4年の太政官布告後、「旧穢多」を、近代的部落差別という鉄鎖につなぐきわめて大きな要因になったと思うのです。

明治政府のキリシタン弾圧政策にみられる「半禁半許」(半分許可して半分禁止するというあいまいな施策)に対応する、旧宗教警察に対する「半解半縛」という施策がとられたことが、近代部落差別を、より複雑でより難解なものにしていったのではないかと思うのです。

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