2021/10/02

「賤民史観」と遊女4 「遊女」と「部落民」の間にある深くて暗い溝・・・2

「賤民史観」と遊女4 「遊女」と「部落民」の間にある深くて暗い溝・・・2

総合女性史研究会編『日本女性の歴史 性・愛・家族』(角川選書)の一節にこのような記述があります。

「1924年(大正13年)には娼妓数は全国で約5万2000人をかぞえ(遊客数は推定3140万人)、これに売春をともなう芸妓・酌婦の数を加えると、合計で17万6000人にのぼっている。遊廓の周辺には、公娼に数倍するといわれた私娼も存在した・・・

娼妓と貸座敷業者には賦金とよばれた税金が課せられた。これは地方税として県財政をうるおした。神奈川県では1888年(明治21年)に県予算の20パーセント以上を占め、しかも、その一部は警察探偵費にあてられた。遊廓と警察との癒着を許す下地がここに釀成されていたのである。虐使された娼妓がようやくの思いで遊廓から逃れてきても、身を守ってもらうべき警察で逆に非をさとされ、泣く泣くもどっていく例は多かった・・・」。

この文章をはじめて読んだとき、筆者は、日本の近代・現代の暗部・恥部を見る思いがしました。

『日本女性の歴史』はさらにこのように語ります。

「遊廓では客が10円出すと、75%が遊廓経営者に、25%が娼妓のものとなった。だが、そのうち15%は借金の返済にあてられ、彼女の手元に渡されたのは10%の1円に過ぎない。しかも、その1円では衣装代、風呂代など日常の生活雑費に支払いに足らず、かさんだ借金は前借金に加えられた。娼妓の中には学校教育を満足に受けておらず、自分の前借金を計算できない者もいた。・・・からだを酷使して健康をそこね、結核や性病をわずらっても充分な治療は施されず、身も心もぼろぼろとなって待つのは死ばかりであった。公娼制度とは国家による女性の性的収奪にほかならなかったのである」。

「国家による女性の性的収奪」どころか、「国家による人身の自由剥奪」であったのです。

大日本帝国憲法第23条の「人身の自由」に関する権利は、娼妓・芸妓に対して保障されることはほとんどなかったのです。第23条には、「日本<臣民>ハ法律ニ依ルニ非シテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」とあります。『憲法義解』の伊藤博文の解説では、「警察及司獄官吏」だけでなく「私人」も想定されていることを考慮すると、娼妓・芸妓はまさに大日本帝国憲法第3条に違反する状況におかれていたと思われます。

しかし、筆者がこれまで遭遇して資料の中に、その違反(違憲状態)を告発する事例は見つけることはできませんでした。明治憲法下にあっても、「遊女」(娼妓・芸妓)は、「人身の自由」の対象外に置かれていたのでしょう。つまり、「遊女」(娼妓・芸妓)は、大日本帝国憲法第23条にもとづき「人身に自由」が保障されるべき「臣民」ではなかった・・・、ということになります。

明治天皇制は、大日本帝国憲法のもと、「遊女」(娼妓・芸妓)から、「人身の自由」を剥奪し、近代中央集権国家によってなされた最大かつ最悪の人権侵害の収奪機関でしかなかった・・・、ということを意味しています。

神奈川県をはじめ、日本の近代化が、日本女性の「性的収奪」・「人権収奪」の上に構築されてきたのだとしたら、その近代化とはいったい何だったのか・・・、正当な「権力」に従順な筆者ですら、はげしい疑問のあらしに直面せざるを得ません。「美しい国・日本」は、その国民である「美しい女性」を犠牲に供することで実現されていた・・・、そんな国を「美しい」と呼ぶことができるのか・・・、考えこまざるを得ません。

神奈川県だけでなく、日本全国すべての都道府県は、同じような「罪責」の中に立たされていたと思われます。

筆者が、「寄留の民」として、「よそもの」として20数年棲息している山口県も決して例外ではありません。

『山口県警察史』のなかに、当時の深い闇が記載されています。

司法卿・江藤新平ひきいる司法省から出された、明治5年の「芸娼妓解放令」・「遊女解放令」は、長州汚職派閥を中心とする反対勢力に瓦解させられていきます。薩摩・長州派閥が、大久保利通独裁政権下で黙認した、同じ日本人女性に対する「拉致・監禁」、「苦役の強制」の恒常化は、日本人の精神と文化を大きくむしばんでいくことになります。

『山口県警察史』にはこのような記述があります。

「「芸妓・娼妓解放令」の出される1カ月前の明治5年9月5日に、大蔵省は次の趣旨の布達を発している。「遊女・飯盛女・女芸者の類は、これまで税金をとって許可してきた向きもあったが、不都合の義もあるので、近くその取締規則を公布するまで次のように心得よ。(1)これまでの税金收入は、本年からは大蔵省へ上納するには及ばない。(2)右の收入金は道路・橋梁の修築費や、邏卒の入費に当てよ。(3)ただし、新規営業は許可してはならない」というものである。これはマリア・ルーズ号事件の裁判進行中に、娼妓解放の前提として出されたものであろうが、業者から徴集する税金は県費に繰り入れられ、邏卒による県内取締りの費用の一部に当てられたのである」。

明治5年9月の大蔵省布達第127号によって、明治政府は、「遊女(娼妓)に対する課税と処分を許したのですが、それは、「府県税」と区別されて、「賦金」として別様に取り扱われていきます。その「賦金」の処分は、「県令の権限」によって処分され、「主として警察探偵費や検梅費に支出された」といいます。

この「賦金」は、山口県庁の「第3課(租税課)」ではなく「第4課(警保課)」が担当し、「所轄警察署を経由」して県に上納されたといいます。「娼妓」は月に1円・賦金がかせられます。「芸妓」に課せられた租税は一般の府県税(「雑種税」)に組み込まれていきます。

『山口県警察史』はさらにこのように記述しています。「この制度は明治21年8月に「貸座敷・引手茶屋・娼妓ノ賦金ハ、府県知事ニ於テ適宜ニ之ヲ賦課シ、地方雑收入ニ編入スベシ。警察機密費(高等警察ニ属スルモノヲ除ク)ハ警察費中ノ一科目トシ・・・地方税ヨリ支弁スベシ」とされ、賦金制度ハ廃止されすべて地方税に編入され、探偵(犯罪捜査)などの運営費として「警察機密費」が正式に県の一般財源に組み込まれることになった」。

山口県警部長高尾玉敷明は、「22年度ヨリ賦金ハ地方税ノ雑收入ニ組入レ、更ニ警察費中ニ機密費ノ目ヲ設クルコトニナリタルガ、機密費ハ其ノ字ノ如ク機密ノ費用ニ属スルガ故ニ、其ノ使用ノ詳細ハ固ヨリ言ヒ難キモノナレドモ、放火・強盗ノ探偵及ビ人身保護等ノ重要ナル費途ニ充ツル・・・」と、機密費の用途を明らかにしています。

山口県警察の「機密費」は、明治4年の太政官布告によって、近世幕藩体制下の司法・警察としての「非常民」であった「旧穢多非人等」が、「外国交際」上の止むを得ぬ措置(キリシタン弾圧・草莽による外国人暗殺・拷問制度の存続に対する諸外国の批判を軽減するため)によって解雇されたあとも、その職務の公的重要性から、「非公式」に再雇用する必要に迫られ、その人権費の財源として、「遊女」に対する租税(公的「娼妓」の「賦金」、私的「娼妓」の罰金)が使用されたことを示唆しています。「示唆」というより、「明言」されているといったほうがいいかもしれません。

「警察」・「部落」・「遊女」の密接な関係を示唆しています。

近代「警察」は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての「旧穢多」の探索・捕亡・糾弾に関する知識・技術を利用しつつ吸収するための費用を、「遊女」(娼妓・芸妓)から調達していたのです。現代、ときどき話題になる各都道府県の「警察機密費」の端緒は、「遊女」(娼妓・芸妓)からの前近代的「上納金」にあったと思われます。

つまり、「遊女」(娼妓・芸妓)は、「警察」・「部落」(巡査・探偵・警察の手下)の下で、「人身の自由」の剥奪、「苦役の強制」にさらされていたのです。明治末期になると、日本の警察は、「旧穢多」の末裔に「特殊部落民」というラベリングをして、両者の関係を否定、切り離そうとします。

近代の部落史の本質は、近世幕藩体制下の司法・警察であった「非常民」としての「旧穢多」が、徐々にその職務をうばわれ、「常民化」(非警察化・非警察権力化)されていった過程なのです。明治4年の太政官布告から30数年の長い歳月の緩慢な変化は、「旧穢多」に対する「民衆」のあらたな偏見、権力の恐怖の裏返しとしての偏見を育てていくに充分でした。近代警察システムにおいて、「非常民」から「常民」へと追いやられていった「旧穢多」に対して、ラベリングされて官製用語が「特殊部落民」という差別語だったのです。

近代中央集権国家の警察システムに生き血をすわれ、不要のものとなった「旧穢多」は、「遊女」(娼妓・芸妓)同様、「臣民」にあらざる「国民」として、「二流市民」として、あるいは、「士農工商」より一段下の「第三種族」(明治13年版『司法省・全国民事慣例類集』)として「棄民」扱いされるようになったのです。日本の歴史学は、国策に同調して、「旧穢多」(部落民)と「遊女」を「賤民概念」でひとくくりにし、「棄民」化された「旧穢多」を、日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」の中に位置づけ再解釈していったのです。

「部落民」と「遊女」を同等の存在として・・・。

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