2021/10/01

『ごんごちの里』(ある同和対策事業批判)の執筆目的

『ごんごちの里』(ある同和対策事業批判)の執筆目的

『ごんごちの里』(ある同和対策事業批判)を新たに執筆することにしました。

『部落学序説』執筆途上において、筆者に寄せられた批判に答えるために、『ごんごちの里』(ある同和対策事業批判)をたちあげることにしました。同和対策事業については、『部落学序説』本文で取り上げる予定にしていましたが、同和対策事業についての言及はその日がくるのを待つが、それとも、「島崎藤村論」のように、『部落学序説』の「付論」という形で早急に執筆するか、検討しました。

その結果、33年間・15兆円という費用と時間をかけて実施された同和対策事業を、『部落学序説』の筆者がどのように認識しているのか、『部落学序説』とは別に、独立した文章で論述したほうがいいのではないかという結論に達しました。

『部落学序説』はもちろん、『ごんごちの里』(ある同和対策事業批判)も、多くの部落史研究者や教育者がしているように、部落解放運動の代弁者として執筆するわけではありません。筆者が『部落学序説』で明言した「部落学」の研究方法に基づいて、その応用編として『ごんごちの里』(ある同和対策事業批判)を展開することになります。

『部落学序説』と『ごんごちの里』(ある同和対策事業批判)は、同時並行で執筆していきます。『部落学序説』が、誤解を防ぐことを念頭に入れて、詳述する場合が多く、原稿枚数が膨大なものになってしまったことを反省し、『ごんごちの里』(ある同和対策事業批判)は、400字詰原稿用紙300枚の範囲にとどめ、印刷物として配布可能な文書にします。

執筆のための資料は、すでに筆者の手元にある資料と、これから検索によって遭遇するかもしれない、インターネット上の資料のみをもちいて執筆します。

『ごんごちの里』(ある同和対策事業批判)というブログ名を思いついたのは、ブログ『蛙独言』の著者・田所蛙治氏の感化するところによります。「蛙」も「ごんごち」も、世の中がそのようにみる仮の姿、その本当の姿は・・・。意外と共通している可能性があります。「本当の姿」を捨てて「蛙」になりきって生きていこうとする兵庫の部落解放同盟の田所蛙治氏と、「ごんごち」であることを捨てて「本当の姿」に回帰していこうとする山口の部落解放同盟の福岡秀章氏の比較研究を通して、同和対策事業・部落差別問題の本質に迫ります。

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