2021/10/02

部落差別はなぜなくならないのか

部落差別はなぜなくならないのか


部落差別は、なぜ、なくならないのでしょうか・・・。

同和対策審議会答申を踏まえて、33年間15兆円の同和対策事業・同和教育事業が行われたにもかかわらず、部落差別はなぜなくならなかったのでしょうか・・・。

部落差別をなくすために、戦後だけでなく、戦前においても、部落差別解消にむけていろいろな事業が施行されました。被差別の側から、「水平社宣言」が出され、当事者によって「水平運動」(部落解放運動)が展開されました。それなのに、なぜ、部落差別はなくならなかったのでしょうか・・・。

最近の部落史研究の見直し、部落解放運動の見直しの足跡を見ていきますと、部落差別は解消への道をたどるどころか、逆に、部落差別の対象を拡大、つまり、「部落差別の拡大再生産」していこうとする姿勢が露骨に見られます。

「被差別部落民」という言葉の使用が撤回され、それに代えて、「被差別市民」(野口理論)という新しい言葉をくつくり、あらたな部落解放運動を画策する学者・研究者・教育者・運動家も登場してきています。

33年間15兆円の同和対策事業・同和教育事業の「再現」を望んでいる被差別部落の当事者は決して少なくないようです。

「唯物史観」からみた明治4年の「穢多非人等ノ称廃止」の太政官布告の固有の解釈のひとつに、このような解釈があります。

「政府は解放令をだして、部落の人びとの職業も平民なみにするとはいっていますが、政府は、部落の人びとの生活が実質的に向上しうるだけの経済的な政策や保障には、まったく手をつけませんでした。ところが政府は、維新によって廃止となった武士身分のものには、手厚い保障を与えています。政府は明治2年には家禄として、封建時代の禄の十分の一にあたるものを支給しました。・・・封建身分制の頂点にいた旧武士たちをこれだけ優遇したのに対し、その身分制の最大の被害者であった部落に対しては一銭の国家的補助も与えられませんでした」。

この言葉は、原田伴彦著『被差別部落の歴史』(朝日選書)の一節です。

『部落学序説』の筆者としては、この言葉が目にはいるごとに、「疑問」に思うことがあります。

原田伴彦も、そのほかの「唯物史観」に立つ学者・研究者同様、近世幕藩体制下の身分制度を「士農工商穢多非人」として理解します。そして、「穢多非人」は、最下層の「賤民」身分であるといいます。明治4年の太政官布告によって、「穢多非人」等は、「賤民」の縄目から解放され、「身分職業」とも「平民同様」に取り扱われることになるのですが、筆者の「疑問」というのは、なぜ、「唯物史観」に立つ学者・研究者は、明治4年以降の「穢多非人」等に対する明治政府の処遇を、「士・農工商・穢多非人」の図式の「穢多非人」のすぐ上の身分・「農工商」のそれと比べないで、一足飛びに「士」と比べるのか・・・、という疑問です。

当時の人口の90%強の「平民」に対する明治政府の処遇と比較しないで、当時のエリート階級であった人口比6%弱の「士族」に対する明治政府の処遇と比較するのでしょうか・・・。

近世幕藩体制下の「百姓」の末裔であり、近代以降の「平民」の末裔である筆者は、「唯物史観」に立つ学者・研究者が、当然のごとく、「旧穢多非人」に対する明治政府の処遇を、「旧農民」(農工商)のそれとくらべないで、いきなり、「旧武士」のそれと比べるのに、「不合理」を感じてしまうのです。

『部落学序説』では、その背景をすでに明らかにしてきましたが、従来の「唯物史観」に立脚した「部落史研究」から考察するときは、「不合理」そのものです。

そのような「不合理」に対して、「旧農民」(平民)から出てくる言葉は、「同和対策事業」は「旧農民」(平民)に対する「逆差別」である・・・という批判です。当然といえば当然です。

明治政府の旧身分解体に際して、「旧農工商」は、明治天皇制下の「平民」身分に組み換えられるのですが、「平民」は、明治政府によって、「旧穢多非人」同様、何の保障もうけていません。

「唯物史観」に立つ学者・研究者は、「旧穢多非人」が社会的・経済的「弱者」・「犠牲者」であることを証明するためには、明治政府から、旧幕藩体制によって、生かさず殺さず・・・という差別と抑圧にさらされてきたにもかかわらず、明治政府から何の保障も受けていない「旧農工商」(平民)と比較しても意味をなさないとでも思ったのでしょうか。「士・農工商・穢多非人」という近世幕藩体制下の「農工商」を素通り、無視して、「士」と比較する・・・、その傾向は、戦後の同和対策事業や部落解放運動に引き継がれています。

明治政府によって、「旧武士」(士族)は、どのような保障を受けたのでしょうか・・・。

原田伴彦著『被差別部落の歴史』(1975年出版)によると、「武士身分を失った士族への保障額」「巨額」なもので、現在の貨幣に換算すると「5兆円」に達するといいます。人口比6%弱に「武士」に国庫から保障されたのは、今日の貨幣に換算して「5兆円」・・・、「旧武士」身分に対する破格の「優遇」措置であるといえます。

戦後の同和対策事業・同和教育事業として支出された金額は、33年間15兆円です。明治初期に「旧武士」(士族)に対して支出された「5兆円」の3倍にあたります。時代と状況が違いますので、単純な比較はできませんが、しかし、「15兆円」という金額は、明治初期に「旧武士」(士族)に対して支出された「5兆円」と比べると、ほぼ匹敵するか、凌駕する金額でなかったかと思います。

それなのに、「部落差別」はなぜなくならなかったのでしょうか・・・。

「部落差別」を解消するために、さまざまな試行錯誤が繰り返されたことを考えますと、今後、あらたに同和対策事業・同和教育事業を再開し、さらに、15兆円の同和対策事業費・同和教育事業費を投与したとしても、「部落差別」はなくなることはないでしょう。

水平社・初代中央執行委員長であった南梅吉は、部落差別は、「物質的の欠乏よりも精神的苦痛がより多く・・・」原因しているといいます。部落差別をなくすために必要なのは、「同和対策事業」(差別に依拠した事業)の継続ではなく、「部落解放運動」(差別史観からの解放)なのです。

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